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島の役員が集まり、種子取の企画や仕事の役割を決める。
また、奉納芸能の配役を決める(トゥルッキ)のもその日で奉納芸能の中心的なホンジャーの家(玻座間村は国吉家、仲筋村は生盛家)では、芸能の練習が始まる。
奉納芸能の練習。種子取祭の供物や料理の準備。
各家の家長は、それぞれの畑に出て種子を蒔く。
また各家の女性たちを中心にイイヤチを作る。イイヤチとは、イヒハツ(飯初)の義で、「慶来慶田城由来記」に記されたイハツのことである。
当日はチチヌニヌタニドゥル(戊子の種子取)と称されるように、もっとも重要な播種の日である。世持御嶽や六御嶽の神前では、神司(神女)による種子取祭の祈、願が始まり奉納芸能を抜露する特設の舞台も作られる。
ンガソージ(ンガは大きい、ソージは精進の義で、大精進の日)と称して身を慎む日。
物音を立てずに静かに過ごす。かつては奉納芸能の練習も人里離れた浜辺などで行い、味噌・醤油・青野菜などは食しなかった。
夜には、奉納芸能を担当する玻座間村と仲筋村の各集会所において、芸能のシクミ(仕組み)が行われる。
当日の昼には、オナリ神である家長のおばさんや姉妹たちを招いてイイヤチを差し上げて、蒔いた種子の成長を祈る。
バルピルヌニガイ(割る蒜の願い)。
蒜が割れるように種子が発芽する日。前日とはうって変わって賑やかに過ごす。奉納芸能の初日目である。当日は主として玻座間村が芸能を担当し、夜は各村に別れてユークイ(世乞い)をする。
玻座間村の芸能
午前6時頃
神司(神女)たちは玻座間御嶽の神前にて祈願。
東隣りの弥勒奉安殿では、古老や公民館長たちによる弥勒神への祈願が始まる
午前7時頃
神司たちと島の役員たちは、世持御嶽で合流して礼拝する。つづいて、世持御嶽の神前に理特設された舞台(奉納芸能にも使用する)で歓待の儀式を行うが、神司は参加しない。
歓待の儀式は、小笠原流の礼法で行われていると伝えられるもので、かつては島の長老たちが祭り士族たちを歓待するものであったと思われる。
午前8時頃
歓待の儀式に参加した人々は、神司を先頭に公民館長を補佐する主事宅に参る。それを参詣というが、その行事は夜に行う世乞い(ユークイ)とまったく同じやり方であり、その参詣の行事はかつては士族宅の訪問であった。
ちなみにユークイとは、豊穣を乞い求める行事で、銅鑼や太鼓を叩きながら、各家々を廻ってユークイの歌をうたう。
午前10時頃
参詣の集団が、種子取祭の催事場である世持御嶽に戻り、そこでユークイの「巻き歌」をうたう。
つづいて、庭の芸能が繰り広げられる。庭の芸能は、ゾーラッキ(行列)と称されているように、数十名の人々が隊列を組んで演じる。
午前11時頃
特設の舞台の上で、玻座間村の芸能が奉納される。
午後6時頃
玻座間村の舞台の芸能が終了し、神前にてイバンの儀式を行う。
イバンとは9年母の葉のこ、とで、それをいただいた者は、夜を徹したユークイから抜けることはできない。
(近年は徹夜でユークイを行うことはあまりない)
午後7時頃
戊子の日に種子取を始めた根原金殿の子孫宅である根原家で、ユークイを始める。
根原家でのユークイ終了後、その集団は、玻座間村(玻座間村は東集落と西集落の2手に分かれる)と仲筋村の3つの集団に別れ、各家々を廻るユークイを行う。
ムイムイヌニガイ(萌え萌えの願い)。
発芽した種子が萌え出る日。前日同様奉納芸能を中心に、賑やかに過ごす。当日の芸能は主として仲筋村が担当する。
仲筋村の芸能
午前6時頃
三方に分かれたユークイの集団が、再び根原家に集合する。そこで最後のユークイを済ませ、世持御嶽に戻り、イバン返還の儀式を行う。
午前7時頃
世持御嶽で、前日と同じ儀式を行う。その歓待の儀式に引きつづき、仲筋村のシドゥリャニ(「あう爺狂言」「御主前狂言」ともいう)を奉納する。
午前8時頃
前日同様主事宅への参詣。
午前10時頃
前日と同じ、庭の芸能を奉納する。
午前11時頃
前日同様、特設の舞台の上での奉納芸能。当日は仲筋村の芸能が中心である。
午後6時頃
すべての奉納芸能が終了し、神前に礼拝して解散となる。
種子取祭の収支決算報告、弥勒奉安殿における祈願。
石垣島や沖縄本島や東京などから祭りのために帰省した人々との交歓会なども行う。
タナドゥイムヌン(種子取物忌み)。
現在は行われていない。かつては各畑に薄で作った魔除けのスバ(ススキの葉で作る)を結び立て、作物に害虫がつかないようにと祈願した。
また、「浜下り」の行事があり、神司(神女)たちによる浜辺での祈願が行われ、青年たちの相撲大会なども行われたというが、現在は行われていない。
クシユクイ(腰憩い)の日。安息日であるが、これも現在は行われていない。
以上のような日程で種子取祭は進められるのだが、実際に祭りらしく島が活気づくのは、7日目の庚寅の日と8日目の辛卯の日であり、それ以外の日は、種子取祭の準傭や各家庭での行事を行う。
ただし、第5日目の戊子の日は、種子取祭の祈願のなかでもっとも重要な日とされており、古くからチチヌニヌタニドゥル(戊子の種子取)と称されるように、播種は戊子の日に行われなければならない。なぜならばツチノエネの日は、作物の種子が土に根づく日であると信じられていたからである。
したがって、当日は家長による儀礼的な播種が行われる。これは直径1メートルほどの円形の土を耕して、稲・麦・粟・大豆などの種子を混ぜ合せて蒔く儀礼的なもので、実際の播種とはいえない。また種子取祭の神饌である飯初を作るのもその日である。
そして、6日目の己丑の日はンガソージで、蒔かれた作物の種子のために、物音を立てずに精進するが、その日は、他家へ嫁いで行った家長のおばさんや姉妹たちが実家に戻って飯初をいただき、蒔いた種子の成長を祈る。その日につづく7日目の庚寅と8日目の辛卯の日は、島をあげての賑やかな祭りの日となる。
種子取祭の日程 (このページ)