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奉納芸能を中心とする一連の行事は、呪詞・奉納芸能・ユークイに分類することができる。
呪詞は神司(神女)たちによって唱えられ、奉納芸能は男性によるキョンギン(狂言)と女性によるブドゥイ(踊り)に大別することができるが、なかでも男性による「呪狂言」は農耕に関わる芸能であり、奉納芸能の中心になっている。
呪狂言とは、毎年演じなければならないとされる玻座間4点・仲筋3点の神事芸能のことである。
また呪詞・ユークイの歌・呪狂言は、主として農作物の播種・成育・除草・収穫までの過程を丹念に叙述するという共通点があり、そこには播種儀礼を根幹とした呪詞・歌謡・芸能の相関関係をうかがうことができる。
種子取祭で演じられる演目は数百あり、トゥルッキの日にその年に演じられる演目が決められる。
次に掲載する演目は平成9年度に奉納された演目のうちの一部である。
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玻座間ホンジャー
例狂言 鍛冶工狂言
例狂言・組頭(薄崩し狂言)
例狂言・世持(種子蒔狂言)
例狂言・世曳き
舞踊・しきた盆(しきた盆節)
舞踊・安里屋(安里屋節・安里屋ユンタ)
舞踊・元タラクジ(元タラクジ節)
組踊・伏山敵討
仲筋ホンジャー
例狂言・シドゥリャニ(あう爺狂言)
例狂言・天人
舞踊・タノリャー(元タラクジ節)
舞踊・竹富節(八人踊り)(竹富節)
舞踊・仲筋のヌベマ(仲筋のヌベマ節)
舞踊・サングルロ
畑屋の願い (猿狂言)
鬼捕り(鬼狂言)
種子取祭の初日の奉納芸能が終わると、世持御嶽の神前で、イバン(九年母の葉)をいただく儀式を執り行う。その儀式に参列し、イバンをいただいた者は、夜通しのユークイに参加しなければならず、翌早朝のイバン返還の儀式まで、ユークイ人として拘束されることになる。
ユークイは、世持御嶽から出発し、種子取祭を戊子(つちのえね)の日に定めたとされるネハラカンドの子孫の家・根原家を訪れる。根原家では、神司祈願の後、一連の「世乞い歌」を歌う。つづいて、玻座間東・玻座間西・仲筋の三集落に分かれて、各家々を廻る。
ユークイとは、豊作を祈る行事で、「世乞い歌」には、道歌、庭歌(巻き歌・シキドーヨー)、座敷歌(稲が種子アヨー・根うりユンタ)があり、豊作を祈る歌が中心である。但し、「巻き歌」だけは、豊作を祈る歌ではなく、訪れるユークイ人と迎える主人側の応答の歌になつている。
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意味
戊子の日の種子取祭
わき上がる拍子よ
豊作到来の拍子
巻き歌(庭歌)の音楽 windows media player
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意味
遠くの方からやってきました。
誰に会いに来たのかと言うと、この殿内のご主人に会うために、やって来ました。
ヨンナ この殿内のご主人に会うために。
「巻き歌」は、種子取祭の由来伝承と密接に結び付いて伝承されており、六御嶽で、別々に行っていた種子取祭が、はじめて一緒に行われたとき、ネハランカドを中心とした六御嶽の神々がやりとりした歌であるとされている。
根(にー)うりユンタ(座敷歌)の音楽 windows media player
根(にー)うりユンタ(座敷歌)の音楽 real player
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意味
陽春になると、
若夏になると、
ススキのように栄えてください。
力芝草のように繁茂してください。
「にーうりユンタ」は、作物の種子が発芽し、根付くことを祈る。
棒踊りは、一般に「棒」と呼ばれる清めの芸能である。庭の芸能をはじめるに当たって、その場所を清めるもので、六尺棒・尺棒(刀)・長刀・槍・鎌などを小道具として演じる。
演じ手は、2人一組で、一番棒〜五番棒までの5組の棒踊りがある。
一番棒は、2人とも六尺棒で演じ、二番棒は尺棒(刀)と槍、三番棒は尺棒(刀)と槍〈長刀の場合もある)、四番棒は鎌と長刀、五番棒は尺棒(刀)と長刀で、それぞれ演じる。
大地を清めることを第一とする棒踊は、踊りというよりも、戦う演武と呼ぶほうが相応しい。六尺棒・尺棒(刀)・槍・鎌・長刀の武具を振り回して悪霊を払い、跳躍によって地霊を鎮める。
また、棒踊りは、ホラ貝の音で演技することになっている。ホラ貝の合図で、戦う二人が向き合ったり、戦いを始めたりする。鳴り物としては、ホラ貝の他に、ドラ・太鼓を連打するが、これは単に音響効果を狙ったものではなく、もともとは悪霊を追い払うための音であった。
竹富島では、かつて、夜になっても野良から帰らず、行方不明になったときは、マジユーヌに連れ去られたとして、村人総出で、明りを灯し、ドラ・太鼓を連打して悪霊を追い払いながら、野や森を探索したものであった。
マミドーとは、マー(真)・ミードー(女)のことで、「立派な女」「働き者の女」という意味である。
この歌は、ユンタとして、あるいは子守歌として、石垣島や小浜島、波照間島などでも広く歌われていた古謡であったが、竹富島で、歌詞を作り変え、曲のテンポを早め、踊りを振り付けて、種子取祭の舞踊として誕生した。
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意味
戊子の日の種子取祭
種子下ろしのお願いです。
豊かな世に直れ。
今年の豊作を願います。
来年の夏の豊作を願います。
豊かな世に直れ。
今から400年前(300年前とも)に、人頭税に苦しむ貧しい百姓がいた。彼は、重税の中で、10人の子供たちを立派に育て上げながら、毎年の年貢を完納した。
彼の模範的な所業は、琉球国王の聞くところとなり、表彰されることになつた。夫婦と10人の子供たちは、国王に拝謁することになつたが、貧しさゆえに、子供たちの着物の袖は片袖しかなかった。
しかし、国王に拝謁できたことは、無上の喜びであり、その喜びの踊りがジッチュである。
そんなわけで、ジッチュとは、「10人」という意味であり、その踊りは、片袖を抜いて踊るのである。
上の伝承は、ジッチュ踊りの由来伝承であり、そこには人頭税に苦しむ百姓たちの苦労、琉球国王のご慈悲と国王を慕う百姓の思いが描かれていて、興味深い話になつている。
おそらく、上の由来伝承誕生の背景には、そのモデルに相応しい実直な農民がいたことが想像されるが、それとともに、お役人からお褒めの言葉をいただくことを最大の喜びとする当時の風潮も語られている。
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(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
戊子の日の種子取祭
吉日を基にして、ヨイヤナー
種子下ろしのお願いです。
ハイヨ 子孫そろってのお願いです。
ハイヤ イー シーシーシ
真栄は、1701年に玻座間村の大山家で生まれたが、19才で分家して小山家の祖となり、後に、竹富島を離れて西表島仲間村の開拓のために移住したと伝えられている。
人頭税時代の当時は、移住や転居は個人の自由ではなかったが、人口が増えすぎすると、「道分け(ミチバギ)」と言って、道路を区切って、強制的に移住させることがあった。
しかし、荒れ地を開墾する新天地での生活は、たいへんな苦労であり、精神的な苦痛も計り知れないものだった。したがって、当時は、喜んで移住を希望する人などはほとんどいなかったが、真栄は自らすすんで移住を希望したと、伝えられている。
真栄(まさかい)の音楽 windows media player
(28.8kbpsモノラル 0:38)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
竹富島に生まれて、
西表島仲間村で、生活した真栄。
豊かな世に直れ。
戦後、多くの人々が、竹富島から石垣島に移住した。
石垣竹富郷友会は、昭和22年(1947年)に設立された竹富島出身者の会であるが、その婦人部による奉納芸能が「祝い種子取」である。
クイチャ踊りの音楽 windows
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(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
クイチャ踊りが始まったので、
今年の作物はよく稔るぞ。
来年の作物は、もっと豊作を賜りますように。
ソーリヌ オーヤッサイ
マタリヌ オーヤッサイ
さー みんなで さーさ行こう さーさ行こう
大巻きだ 逆回りだ
ヒヤ マタ アリ アリ
琉球王朝時代、沖縄にはチョンダラー(京太郎)という芸能集団がいた。彼らは、村々を巡り歩き、芸能を披露するとともに、葬儀を執り行う宗教者でもあった。
そのチョンダラーたちは、人形芝居、念仏歌、口説、鳥刺舞、馬舞者など、数多くの芸能を携えていたが、エイサーやアンガマまどの盆踊りも、彼らの芸能から学んだものである。
馬乗者(んーまぬーしゃ)の音楽 windows media player
(28.8kbpsモノラル 1:04)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
マコンの顔は、蟹と同じよ。
あのマコンの頭に、クバ笠をカッチンとくっつけたぞ。
その箱三味線を弾くと、
椰子蟹が踊る、クバの葉が揺れる。
それを見てびっくりだ。
ハイヨー ハイヨー ハイ ドードー
暴れ馬を乗り回して得意顔だ。
沖縄の弥勒信仰は、ニライカナイの信仰と習合して、海の彼方の楽土から世(豊作・富貴)を運んで来る五穀豊穣の神と考えられており、特に八重山諸島での信仰は厚い。
すなわち、沖縄の弥勒信仰は、仏教の弥勒信仰とは趣を異にしているわけだが、房総・相模・伊豆の海岸地帯でも、稲の稔りを運ぶ弥勒の歌や踊り(鹿島踊り)が伝承されており、本土との関わりも考えられる。
しかし、八重山の弥勒は、安南から伝来したとされており、伝承の上では、本土との関わりは見られない。
竹富島の弥勒は、仲道家の先祖が弥勒の仮面を海岸で拾い、それを拝み始めたのが始まりで、その仮面は後に与那国家に譲られたという。
現在でも、弥勒の仮面を被って弥勒神として、登場できるのは、与那国家の当主と決まっている。また、竹富島の有力者であった大山家も、弥勒との関わりは深い。
弥勒(みるく)節の音楽 windows media player
(28.8kbpsモノラル 1:10)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
大国の弥勒神が、竹富島にこられて、
末永くご支配ください。
島の主様、島の主様。
サーサー ユーヤー サースリサーサー
ホンジャーとは、フン・イイジャーのことである。「フン」は区域・地域を表す言葉であり、イイジャーとは、「父」の意である。したがって、玻座間ホンジャーは「玻座間村の父」と解釈することができる。
芸能の統括者・責任者であり、芸能の神様として君臨するのがホンジャーである。
(28.8kbpsモノラル 1:45)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
鉄器の農具は、石器や木器よりもはるかに生産力が上がる。しかし、沖縄には鉄器の原材料である鉄鉱石や砂鉄がなかった。それ故、沖縄の歴史はヤマトよりも10世紀近く遅れたと言われている。
かつては、遠い大和の国から、鉄の塊を輸入して、農具を製作していたが、その様子を生き生きと描いているのが「鍛冶工狂言」である。
【あらすじ】
鍛冶工主(かざぐしゅ)が登場し、鞴親父(ふけいーじゃ)・前打(まいうち)(大鎚打)を呼び出して鍛冶に出かける。
鍛冶工主は、鍛冶を始める前に、鍛冶の祝詞(飾り口)を唱える。
祝詞では、鞴・竃・鎚・鋏・金床・木炭などの鍛冶道具を列挙するが、これらの鍛冶道具は単なる道具ではない。鍛冶の神様としてご来臨下さるようにと祈っているのである。
祝詞(飾り口)の後、お神酒をいただいて、鍛冶を始める。
最初に、金串(かなふぐし)を作り、つづいてヘラを作る。ヘラが出来上がると、鍛冶工主は、前打の一人にヘラの出来上がり具合を点検させる。
前打は、出来上がったばかりのヘラを手づかみにして、その出来映えを褒めるのだが、鉄の熱さに耐えられず、「熱い、熱い」と騒ぎ出す。
傍にいたもう一人の前打が、 「耳をつかめ、耳をつかめ」と言うと、彼は自分の耳ではなく相手の耳をつかむ。耳をつかまれた前打は、「自分の耳をつかまずに、なぜ俺の耳をつかむのか」と食って掛かる。
すると、「お前の耳は豚の耳のように大きいが、俺の耳はネズミの耳のようにチョンとして…いて小さいからだ」とやり返す。
鞴親父は、そのような二人のやり取りを静めて、「家では、オトナリ神(男たちを守護する伯母・姉妹の霊力)たちか、鍛冶祝いの準備をして我々の帰りを待っているでしょう」と申し上げて、我が家へと退場する。
琉球王朝時代には、村の中に小さな組織として「組(ふん)」があった。
この狂言では、組頭が登場して、「先に、鍛冶をして農具を整えたので、今日はススキなどを取り除いて、畑の整地をする」と述べるが、これは「組頭」が「鍛冶工狂言」に続くものであることを示している。
登場した組頭は、自分を助勢する者と、若者4人を呼び出して、歌い踊りながら農作業をして退場する。
「組頭」の面白いところは、他の者よりも自分のほうがよく働いたと、自慢し合うところで、そのセリフにどれだけ個性を出せるかという点であったが、現在のセリフは固定化されている。
(セリフ)
ああ、おれの鍬は、今日のために
一生懸命整備しておいたので
鍬の肌艶もピカピカと光って、
切れ味もよく、誰よりも2株多く
ススキを取り除いたぞ。
玻座間で「世持」と称する「種子蒔狂言」は、仲筋村でも伝承されており、世持が種子蒔きの後に唱える飾り口(祝詞)に、両者の違いはあるものの、ほぼ同じ内容の狂言である。
同じ内容の狂言を玻座間村と仲筋村が別々に繰り返して奉納するのは、それだけ種子取祭では重要な狂言とされていたことを物語るとともに、かつて玻座間村と仲筋村の種子取祭が別々に行われていたことをも示唆するものでもある。
この世持(種子蒔狂言)は、最初に、玻座間村の世持(村の責任者)が登場し、「畑を耕しておいたところ、恵みの雨が降ったので、最初に私の畑の種子を蒔き、つづいてみんなの畑に種子を蒔こうと思う。」と述べて、村の若者たちを呼び出す。
畑に到着すると、種子蒔きに当たっての(祝詞)を唱え、つづいて、歌いながら種子蒔きをする。そして、種子を蒔き終えた一行は、オナリ神の待つ我が家へと歌い踊りながら退場する。
この狂言は、首里の言葉を使っており、沖縄本島から伝来した芸能である。しかし、竹富島の豪農であった大山家の御主前を登場させることによって、竹富島の芸能としての特色を出している。
竹富島の豪農であった大山家の代々の主人には、琉球国王から位階が授けられていたようで、『球陽』によると、1821年には、95才の大山筑登之親雲上に「勢頭座敷」の位階が授与されている。
「勢頭座敷」の位階は、いわゆるウザッシユ(御座敷)といわれるもので、元旦の儀式などでは八重山最高位の士族である「頭役(かしらやく)」と同じ服装で参列することを許されていた。
この狂言は、ウザッシユ(御座敷)の位階を授かった大山家の御主前が豊作を喜び、子や孫を引き連れて、竹富島の与人役人と神様にご報告するという内容である。
孫2人を引き連れて登場した御主前は、今年の豊作を竹富島の神様と役人に報告すると述べた後、楽屋にいる二才(若者)に向かって、収穫物を荷車に積んで運び出すようにと指示する。
二才(若者)2人は、「芋の葉節」の歌とともに、ゆっくりと踊るようにして曳きだした荷車を神前におく。
「しきた盆(ぶん)」は、竹富島を「石垣島の前に置かれたお盆のような島」と歌い、つづいて、「八重山を統治した西塘」、「マーラン船の誕生」を歌い、最後に「うつぐみの心」を歌う。
すなわち、この歌の1番〜4番までは島の情景、5番〜8番までは西塘の統治、9番〜10番はブサシ浜でのマーラン船の誕生、11番目はうつぐみの心を歌うという内容になっており、叙景歌・史歌・教訓歌というユニークな三部構成の民謡になつている。
このように叙景歌・史歌・教訓歌という異なつた種類の歌詞が盛り込まれた理由は、それぞれの歌詞が別々の時代に作られたからであろう。
(28.8kbpsモノラル 1:21)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
竹富の ハイ
仲嵩(なかだき−竹富の対語)の島は
豊かな世を賜りますように
「安里屋」といわれる歌には、4種類ある。古くから竹富島で歌われていた「安里屋ユンタ」、星克氏作詞・宮良長包氏作曲の「新安里屋ユンタ」、竹富島で歌われる「安里屋節」、石垣島などで歌われる「安里屋節」の四種類である。
新旧のユンタは、その区別がはっきりしているので間違えることはないが、「安里屋節」のほうは、若干歌詞が違うだけなので、混同される場合が多い。
竹富島と他島の「安里屋節」の違いは、ヒロインのクヤマが目差主の求婚を断った理由にある。
竹富島の「安里屋節」は、クヤマは、目差主から求婚される前に、既に上役の与人の求婚を受け入れていたので断った。となっている。
それに対して、他島で歌われる「安里屋節」は、他の島の男性と結婚するよりも、地元の男性と結婚するほうが後々よいから、目差主の求婚を断った、としており、竹富島の「安里屋節」は、古くから伝承されている「安里屋ユンタ」の歌詞を受けついでいる。
(28.8kbpsモノラル 1:54)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
安里屋のクヤマに
目差主は求婚したが
豊かな世に直れ
クヤマは目差主の求婚を断った
与人様に「私をお預けします」
豊かな世に直れ
〔クヤマの話〕
安里家のクヤマは、どんな女性だったのだろうか。また、彼女は島出身の男性と結楯したのだろうか。上勢頭亨さんの『竹富島誌』を参考に、クヤマについて紹介する。
この伝承は、クヤマが美人であり、働き者であったと述べており、また、御検使役と頭役の賄い方になつたと述べる一方、与人役人の賄いにもなつたとしている。しかし、歌には、御検使役や頭役は出て来ない。
安里屋ユンタの音楽 windows media player
(28.8kbpsモノラル 1:19)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
仲筋村へと走って行った
サー ユイユイ
組角(仲筋の対語)へと飛んでいった
マタハーリヌ 愛しい彼女よ
道々を回ってみると
村を回ってみると
道々の景色のきれいなことよ
村の風景の美しいことよ
乙女に行き会った
かわいい子に行き会った
かわいい子よ あなたは誰の子
乙女よ あなたはいずれの子
竹富島では、太郎をタラー、次郎をジラと言い、叔父をブジとか、ブジャーと言うが、そのブジが託って、クジとなる。
よって、タラクジとは、「太郎叔父」という意味である。
しかし、この歌の主人公は、タラクジ(太郎叔父)ではなく、姪のカマドである。
カマドは水を汲もうと、九年母玉の首飾りを外して井戸の出入り口に置いたまま、ウリカー(下り井戸)に下りた。その後に来て、偶然にも、首飾りを発見したカマドの叔父さん(タラクジ)は、その首飾りを持ち歩き、「恋人から貰った首飾りだ」と、得意げにみんなに言い触らした。
ところが、その首飾りがカマドのものであることが判明し、叔父さんと姪のカマドが恋仲であるとの噂が広がった。叔父と姪の恋は、不義密通に等しく、みんなから批判される。
その噂は、ついに流球国王の耳にまで届いて、紙にまで書かれることになつてしまい、カマドがどんなに否定しても、もはや否定することはできないことになってしまった。
タラクジの軽率な行動が姪のカマドを不幸のどん底に落としてしまったという悲しい物語である。
元タラクジ節の音楽 windows media player
(28.8kbpsモノラル 1:19)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
竹富の太郎叔父よ
仲嵩の叔父さん
九年母玉がきっかけになり
首飾りのおかげで
名君の誉れ高い
棚原の按司の臣下である
一方、天願の按司は、富盛大主が仇討ちを断念して切腹したとの噂を聞いて、大いに喜び、臣下を引き連れて本部山に狩りに出発する。本部山では、道案内人として、狩り人を雇うが、その狩り人から「仇討ちをしようとする鬼のような男が潜んでいる」との思いがけない情報を得る。
天願の按司は、その鬼のような男こそ、死んだと思っていた富盛大主であると思い、早速にも、狩り人の案内で富盛大主の隠れ家を襲うことにする。
しかし、富盛大主と居合せた若按司によって、天願の按司と臣下は、皆殺しにされる。
ホンジャーとは、芸能の統括者・責任者であり、ホンジャー家の床の間には、芸能の神様を祀っている。
仲筋のホンジャーは仲筋家(生盛家)の当主、玻座間のホンジャーは国吉家の当主が務めると決まっており、それぞれの床の間には、ホンジャーを神として祀っている。
初めて種子取祭の芸能に参加する者は、ホンジャーの神前で「新入り」の儀式を行う。また、芸能の役割を決めて練習を始める甲申のトゥルツキでは、芸能を演じる人々が「手の誤り・足の誤りもなく、きちんと演じることができるように」とホンジャーの神に祈る。
種子取祭2日目の奉納芸能は、仲筋村の担当なので、仲筋村の仲筋家(生盛家)の当主が、ホンジャーに扮して舞台に登場し、豊作の祈願をした後、村の役人様に芸能上演の許可をいただく口上を申し上げ、子や孫たちに「芸能を披露しなさい」と述べて退場する。
(28.8kbpsモノラル 1:31)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
仲筋村の最年長の老人が登場し、「子や孫たちは、種子取のお祝いで掛り切っている。種子取の賑いが聞こえると、私たち年寄りも、家で落ち着いていることはできない。これから世持御嶽に出かけて、神様にシドゥリャ踊りを奉納し、豊作の願いをしよう」と、仲間の老人3人を誘う。
この狂言に登場するお年寄りは、仲筋村の現在の年長者4人という設定になっており、次の順序で演じられる。
なお、シドゥリャニとは、「千鳥群れ」の意で、「チドゥリャーンニ」が「シドゥリャニ」と歌ったのである。
チドゥリャーンニ(千鳥群れ)とは、浜辺で千鳥が群れることで、「千鳥が群れるように、我々人間も寄り集まろう」という意味であり、この狂言は、村人が種子取祭に寄り集うことをすすめている。
アマンチとは、琉球王国の神話に登場するアマミキヨのことで、沖縄本島及びその周辺の島々では、国造りの神・稲作を始めた神として伝承されている。
この狂言では、沖縄口が使われており、「天人」が竹富島で生まれた狂言でないことは明らかである。古老によると、西表島の高那村から伝来したものだという。
アマンチの内容は、以下のとおり。
天人が作物の種子を村人に与えようとやって来る。 一方、村の年方(長老)は、種子取の願いをしようと、村の若者たちを引き連れて出かける。
天人と村人が偶然出会い、年方が天人から作物の種子を拝領し、作り方を教わる。天人が立ち去った後、農作業を舞踊化したマミドーを踊って退場する。
タノリャーは、粟の種子蒔きの様子を舞踊化したものであるが、「舞」という言葉が相応しい優美な舞踊である。
タノリャーという言葉の本義は、タニ・トウリヤー、すなわち(種子・取る者)という意味で、(種子・蒔く者)という意味ではない。
しかし、「種子取」という言葉が、「種子蒔き」と同じ意味で使われていることを勘案した場合、タノリヤーは(種子蒔く者)という意味で使われていることがわかる。
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(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
種子取祭のお祝い
種子下ろしのお祝い
銀の種子を蒔き入れると
黄金の種子を蒔き入れると
「竹富節」は「八人踊り」ともいわれるように、スデイナ・カカン衣装の女性4人と若衆姿の4人、合わせて8人で踊る。
この踊りは、「竹富節」と「
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(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
種子取の、種子下ろしのお願い
豊かな世に直れ
今年の豊作・来夏の豊作を願います。
豊かな世に直れ
仲筋村の幸本家には、大事に育てられたヌベマという娘がいたが、パナリ焼きの水瓶と、苧麻の種子を購入するために、新城島に嫁ぐことになった。
新城島の役人が、水瓶と苧麻の種子を竹富島に譲る条件として、竹富島の娘を望んだからである。
大切な娘を海を隔てた新城島に嫁がせた母親は、娘のことを毎日思い、ンーブフル丘の上から新城島を眺める。しかし、見えるのはただ波頭だけであり、また、涙が出て何も見えないと歌っている。
仲筋のヌベマ節の音楽 windows media player
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(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
意味
仲筋村のヌベマ
組角の乙女 スリヨー
ヒーユーサーヨー ヒーヨーナー
一人っ子の娘が
大切に育てた可愛い子が スリヨー
ヒーユーサーヨー ヒーヨーナー
喜舎場永均さんは、『八重山古謡』の中で、ザングルロという題名でこの歌を載せており、もっとも難解な歌であると述べている。
踊りそのものも、他の人重山舞踊とは大きく異なつており、踊り手の衣装も特異である。赤く染めた芭蕉の糸で顔を覆い、黒頭巾を頭に被って踊る。
この踊りの最後は、四人の踊り手が転がりながら幕内へと入ってゆくが、その様子を、俵を転がしていると解釈し、サングルロの「グルロ」は、転がる様を表現した言葉であるといわれている。
また、玉城憲文さんは、『竹富島仲筋村の芸能』の中でサングルロとは、サングクダーラ(三石俵)が訛った言葉であると述べており、その踊りの由来を次のように述べている。
人頭税時代、百姓たちは、何とか年貢を逃れようと、子供が成長しても、まだ大人になっていないように見せるためいろいろと工夫をした。それに対して士族たちは、下着のない時代だったので、その子供たちに、このサングルロを踊らせ、転がるのを見て、大人かどうか見極めたという。
現在、種子取祭で例年演じる組摘は、仇討ちものの「父子忠臣」と「伏山敵討」であるが、この「父子忠臣」のストーリーは、次のとおりである。
島尻地方を支配する糸数の按司は、優れた人物であった。しかし、勢力の拡大を目指す
束辺名の按司は、
福地大主が率いる臣下たちは、「糸数の按司をはじめ、敵を皆殺しにした。」と報告して意気揚々と引揚げる。
ところが、糸数の按司の臣下で、頭役の山城の比屋は、糸数の按司の息子を背負って逃げのびていた。その後、山城の比屋は、隠居の父・兼本大主とともに、主君の仇討ちをすることになるが、その仇討ちまでの物語は、次のように展開される。
糸数の按司の一人息子である若按司を背負って逃げた山城の比屋は、商人に身をやつして仇討ちの機会をうかがう。
一方、隠居した父・兼本大主は、かつての主君である糸数の按司が殺されたと聞いて、主君の仇を討とうと恩納山にやってくる。束辺名の按司が、恩納山で猪狩りをするという情報を入手したからであった。
次第に緊張感を増すドラマの中で、かつての糸数の按司の馬の草刈り係であった男が登場する。組踊によく登場するひょうきんな役回りの「
馬の草刈者は、束辺名の按司の過酷な治世を、ひょうきんな身振りで非難した後、「しかしまた、元の御代に戻るだろう。」と観客に向かって言う。そのわけは、「束辺名の接司は、猪狩りの当日、山城の比屋に仇を討たれるだろうから…」と。
「畑屋の願い」は、主とアヤーの夫婦が畑小屋で種子取の願いをしたり、猿引きに出会って、猿の芸能を観るという筋である。
この芸能は、西表の古見から竹富島に伝来したといわれているが、もともとは沖縄本島の芸能で、登場人物は首里方言で語り、舞台も沖縄本島の本部山である。
一方、両親に捨てられた兄弟は、叔父さんに会うために、本部山の山中を歩いていたが、兄は鬼にさらわれる。
本部山に到着した3人の武士は、それぞれの得意の技を披露して気持ちを落ち着けた後、鬼を探索して夫婦の鬼を捕え、兄を救出する。
兄からお礼を言われた福仲親雲上は、「本村里主と佐久間里主には鬼を飼育させ、我はこの2人の子を育てよう」と言って、退場する。
種子取祭の奉納芸能 (このページ)