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旅の文化の向上に寄与した団体、個人、行政機関をたたえる「日本旅のペンクラブ賞」に竹富島が選ばれた。来月16日、東京都内で竹富公民館の阿佐伊孫良館長に表彰状が贈られる。
同賞は旅行作家らでつくる「日本旅のペンクラブ」(辻真先代表)が、観光サービスの在り方など「旅」について考える契機にしてもらおうと創設。松尾芭蕉が旅立った日とされる5月16日を「旅の日」に定め毎年、表彰式を行っている。今年で20回目。
竹富島の受賞は、住民と行政が一体となり、種取祭や赤瓦(がわら)の伝統的な民家、芭蕉布など独特の文化を守り続けていることが高く評価された。
竹富島の写真集を出版している同クラブ会員の写真家、大塚勝久さんは「竹富島には人間の生き方の根源のヒントとなるものがある。島には28年間通い続けているが、旅のプロにその価値が認められたことにあらためて感慨を深くしている」と話す。
阿佐伊館長は、「昔からの街並みやたたずまいが好感を持たれたのだろう。住民が守ってきた大事な宝をきっちり引き継ぐのが私たちの役目。これを機に気を引き締めたい」と喜んでいる。
(2000年4月18日 火曜日沖縄タイムズから転載)
竹富公民館長 阿佐伊孫良
旅のプロの皆様方より、名誉ある旅ペンクラブ賞に選んでいただいた竹富島から、受賞の喜びのメッセージを送ります。
ご存じのように、竹富島は珊瑚礁の小さな島で、人口わずかに300人余。しかし、島人の気質は小さなものではありません。竹富島の先達者は、この島を次のように謡っています。
竹富島は、石垣島の真正面にお盆のように浮く、珊瑚礁の小さな島ゆえに貧しい暮らしを強いられているが、みよ、賓客の前に差し出されたお盆のように、何と気高く、気品にあふれていることか。八重山の行政の発祥地であるだけでなく、交易船の始まりもこの竹富島である。島人よ、誇りを失わず、何事にも力を合わせて進んでほしい』と。(民謡しきた盆節の概要)
この謡のなかに、竹富島の位置、歴史、精神が謡い込まれています。戦後の竹富島の進路には、いくつかの選択肢がありましたが、地元主導による観光開発という道を選びました。
ちょうど沖縄が米国の支配を脱し、本土に復帰した1972(昭和47)年前後は、一番苦しい時でした。水飢饉、台風の襲来で前途を見失った人たちが、畑を売って島を離れました。本土資本が札ビラを切って、土地を買い漁りました。過疎は一挙に進みました。こういう情況の中で、島の指導者は、島を守る活動を展開してきました。
もちろん試行錯誤を繰り返しながら、先進地に学びながら、活動は続けられ、ついに、1977(昭和52)年の種子取祭の重要無形民俗文化財への指定、1986(昭和61)年の竹富島憲章の制定、町並の重要伝統的建造物群保存地区への選定で結実します。
そこに到るまでには、何と多くの人たちの、物心両面からの支援があったことか、はかり知れません。
町並保存地区の選定から今年は14年を迎え、竹富島の選んだ道を検証し、確認し、補正しながら新しい世紀につなげたいと考えておりました。その矢先の受賞の知らせを大塚勝久さんからいただき、大きな励みになりました。いうまでもなく、活動に終息はありえません。
名誉ある「旅のペンクラブ賞」に恥じぬよう、旅を楽しむ方々の心に染みるふる里づくりに励みたいとの決意を申し述べて、受賞の喜びといたします。
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