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西塘は、出生死亡ともに年月はよく分かっていませんが、1500年前後に琉球王朝と八重山で活躍した実在の人物です。
幼少時、オヤケアカハチの乱を制圧に来た琉球政府の武将にその才覚を認められ、本島に渡り琉球王朝に仕え、建築や政治、特に石工の面で非常に優れた才能を示した人でした。
西塘は、首里城の城壁拡張のための工事をまかされました。その当時、首里城の城壁は何度建てても崩れてしまっていたのですが、西塘は屏風の構造を取り入れ、崩れることのない丈夫な城壁を作りました。
その後竹富島に戻り、蔵元を建て、八重山の内政に関しても数々の面で功績を残しました。
竹富島では、現在でも西塘は偉人とされ、大変尊敬されています。
国の重要文化財に指定(1972年)
琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に指定(2000年)
第二尚氏王統第三代王の尚真の治世、1519年に西塘が創建しました。
幅約10m、奥行き約3m、高さ約3m。
全部が石造りの門で、屋根は唐破風を模し、懸魚、鯱、中央には火焔宝珠。
御嶽だけで本殿はなく、裏手は王城付属の果樹園であったと言われています。
王が出遊のときに、何か異変があれば、この御嶽に神が表れて予言したと言われています。
場所は守礼の門を入って首里城の門に入る手前、すぐ左側にあります。大戦で破壊され、戦後再建されました。
優美で大変美しい門なので、それが世界遺産に指定されている門だとは知らなくても写真を撮っていく人がたくさんいます。
ときおり、門前でお祈りをしている人の姿を見かけることもできます。
首里城の東方約1キロの地点にある本島の中南部では最高峰(海抜161m)の丘の頂上にあります。
園比屋武御嶽石門を小ぶりにしたような感じの石門です。
石門裏の階段を上って山頂に立つと、那覇、西原など周囲の市町村を一望の下に見渡せます。
西に首里城、東に久高島を眺めることができます。
この御嶽には本殿はなく、石門だけがあり、丘全体が聖所とされています。
西塘はこの門の建設にも携わりました。創建は園比屋武御獄(そのひゃんうたき)石門と同じ1519年です。
琉球王朝では太陽をとても重要なものと考えていました。そこで、冬至の日に朝日が登る久高島を琉球国創世の神様が降り立った島として、神聖な島としていました。
冬至の日、太陽はまず久高島から登り、弁が嶽を通り、首里城に届くという仕組みです。このため、弁ガ嶽の礼拝所は、首里城にとって大変重要な役割をもつものでした。頂上から東方向には遠くに久高島、西方向には首里城が見えます。
竹富島の玻座真集落にある西塘御嶽。ここは元々西塘の家があったところです。
西塘は石垣島で亡くなりましたが、後に石垣に建てられていた墓をここに移しました。この御嶽の裏側が西塘の墓になっています。
島の偉人「西塘(にしとう)」 (このページ