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平成10年3月6日から3月10日まで、東京六本木のギャラリーアネックスは、多くの人でにぎわっていた。会場には伝統的な先人たちの織物と八重山上布やミンサー帯・財布やバックの小物から壁かけ、交布の服地やストールなど、現代感覚を取り入れた今日の織物が展示されていたが、その雰囲気に、安心感、やすらぎのようなものを感じた。
人と自然との共生の中から八重山の織は生まれ育まれてきた。織をとりまく環境・人・そして自然は、昔とくらべどのように変化したのだろうか。
八重山の織物の今昔を混じえながら、織のこれからについて竹富町織物事業協同組合理事長内盛スミさんと、島仲由美子さんにお話しをうかがった。 (聞き手:小林基裕)
問 親から子へ子から孫へ
答 内盛 島では織物と踊りは一緒、師匠といっても免許を取ったわけでもなく、下手な師匠ならそれなりにうけついでいく。織も同じで親の仕事を見ながら真似したり、そばで手伝いをしたりしてこの年齢になるまでなんとかやっていけるようになった。
島で生まれ育って親がやっていることを子が見て、やがて孫が見て、織をしてみたい気持ちが生まれると受け継がれる。織も芸の道も同じだと思う。
問 生活の中の織物とは
答 内盛 これは自然の中から生まれたもの。一番よくわかるのは八重山のかすりで、島の言葉でトーニィといって豚のえさ入れに似た模様。自然から出た言葉でトーニイの柄というのがある。この方言から、日常生活の中からこのかすりができたことが分かる。トーニィの縦と横をつなげるとバンジョウ柄(大工のものさし)ができる。その他、クトゥの山(琴の弦を乗せる山)など方言名のかすりができる。八重山のかすりの柄は日常生活の中で作られた。ミンサーにしてもいわれがある。
答 島仲 小さい時、おばあちやんが糸を紡いで巻いていた。それをいたずらしながら、また怒られながら見ていてそれが自然に身についた。まさか織をするという気持ちは全くなかったがそのような環境で育ってきたから、すんなりと織にも入れた。その後、家に機を立てておいたら、子どもも興味を持ち、やってもいいかと聞くようになった。成長して親と子で織の話になると親子という関係が取り払われて、何時間も話し続ける。自然な形ですんなりと織の中へ入ったことは、竹富の環境がそうさせたのだと思う。
問 戦前、戦後、その時代によりうけとられ方に変化
答 内盛 ミンサー織は一時途絶えたが、昭和38年ごろ細々と一人でやっていたおばあちゃんを講師にして若い人たちが講習を受けた。自分も子育ての時期で大変だったが、一日50セントの日当で島の3分の1地域くらいを占める牧場の石積みを頼まれた。お金にならない織物をやめてこちらで働きなさいと言われたが、子どもがいて外へ出て働くこともできずにいると、織の講習があった。子どものことが気になったが、島の人々が皆で育てるから、心配ないと言ってくれたので受けることができた。
講習を企画してくれたのは岡山県の民芸館長の外村吉之助先生だった。半ズボンをはいて変な格好の人だと思っていた。琉球政府当時に、講習会を開いてくれた。戦前、外村先生が最初に来た時は、地ばたで織っていたが、戦後それが消えてしまって一人だけになってしまった。それを見て、地ばたは続けなければならない。政府は何をしているのかといって、外村先生が講習会を開いて下さった。
最初は、八重山上布は3人で1反だったが、ミンサーは1人で3反織ることになった。そのおばあちゃんの時代で地ばたから、高はたに移った(地ばたは難儀なので)。高はたは、かすりはかすりだけで丁寧に巻く「綾つぶる」と、白と茶と墨の少しの糸を巻く「地つぶる」がある。「綾つぶる」とは模様のことであり、「地つぶる」とは下地のことである。その「綾つぶる」と「地つぶる」の両方を一つに織り上げる。つまり、八重山上布の織り方のようにくみあわせてはたを織ったが、今はあの頃よりも上手になり、かすりも地も一緒にまきこむようになった。つまり、地ばたから高はたに移す時代は、地つぶる・あやつぶるは別々に巻いたのである。皆、手じめを教わって、それが国の指定になり、はじめておさ織ができた。
そのような経過を経て通産省から認められ、平成元年4月18日に伝統工芸品に認められた。
問 通産省が認めた後と前の意識の変化
答 島仲 気持ちは同じだが、もともと幅が一定でない手じめだつっものが、おさ通しになった。おさ通しにすると幅が同じになる。
問 技術は、誰が変えていくのか、皆で話し合うのか
答 内盛 何も話し合うということはない。なんとなく見よう見まねで先生というものもなく、自分で人の技術を盗む。指定されてからは、自分の身につけるものではなく、商品になってしまった。以前はでこぼこや幅の一定でないものも手織の良さだと思い、売り物でもないので気にしなかった。しかし国の指定をうけてからは、それなりにきちんとした物を意識して作るようになった。実際に使ってもらうのだから良いものを売りたいという気持ちが強くなっている。
問 織物の味は? もっと自由に作ってもいいのでは?
答 島仲 指定は指定通りにやるが、その他の自由な展開は可能なので横糸をかえたりしている。ミンサーは縦、横、木綿という指定だが、柔軟性をもたせて、木綿と芭蕉、絹と芭蕉、麻などと織っている。指定は伝統的なものとして継承していかなければならないと思うが、ミンサーばかりにこだわらず、島の素材、染料などを利用して伝統工芸品とは別に若い人たちの感性を生かしながらやっている。
ミンサー工程表
1.意匠設計
2.精錬
経糸(カチ)
絣糸 縞糸 地糸
糸繰り大管
整経
絣糸の組合せ
絣括り
染色
絣解き
カタチミ(のり張り)
仮筬通し
巻き取り
緯糸(ヌシ)
地糸
染色
糸繰り
小管巻き
機にのせる
綜統通し
本筬通し
織付
整織
「八重山・竹富町の織物展」解説書より
このページのトップへ戻る「民芸の島」といえる竹富町は、暮らしと白然がバランスよく調和した島々でその中から織物は生まれました。生活文化に根ざした染織の品々は自然の中より湧き出たとも言えます。
長い歴史の中で、衰退した時期もありましたが、先人達の憎熱と良き指導者により技術の継承育成があり、今に繋がっています。
芭蕉布は沖縄を代表する夏衣の一つ、昔、糸芭蕉は各島々で栽培されていた。階級や男女の区別なく愛用された美しい布である。海ざらしで仕上げるこの地域独特の伝統的なものである。
竹富島の代表的な芭蕉布で祭事用に、芸能の中に使われ耕や縞などには木綿をあしらっているのが特長。
素朴な柄行で、すがすがしく、島人に最も愛用されている。
近年この地域は養蚕があり良質の繭が生産されるようになった。
新鮮な繭から素朴な方法で引き出された生絹が芭蕉の糸と出会いよく馴染み、より爽やかな布が誕生した。
竹富町の豊かな素材を生かした新しい布。糸を含んだままの芭蕉の表皮のみを削ぎ、海でさらして自然乾燥し糸にする。
絹や麻などを経にザックリと織り込む透明感のある風合いはインテリアに生きる。
衣のはじまりが神への捧げ物であったように島では今なお、白無地は司の衣として織られる、帷子の一種。
太めに紡いだ苧麻の糸にはしなやかな力があり、様々にようとは広がる。
また絹布は、桑を育てるのに適し、蚕の飼育にも申し分なく艶やかな糸が生まれ、極上の布になる。
経糸に木綿、緯糸に苧麻や芭蕉を入れる。良質の木綿は着心地と使いやすさにつながり昔から庶民の日常に愛用されてきた。
素朴な縞や格子柄が特長で島々で最も多く織られている。
琉球王府時代、人頭税が課せられ八重山の女たちが御用布として上納した。
この歴史的背景は結果として八重山上布の発達を促すことになり、今日、文化遺産として継承され県・無形文化財、国・伝統工芸産業の指定になった。
苧麻の手紡ぎで白地に多種多様な絣が特長。
亜熱帯という気象条件が艶やかな桑を育て、蚕の飼育に好条件となっている。
更に丹精こめての繭から糸を引き、草・樹・花・実などで染め上げる。
この純度の高い地糸で織り上げた布は極めて特色深い。
ミンサーとは木綿の細帯のことでその語源は明確でない。
経絣の模様に思いを託し「いつ世のミンサー」と呼ばれ、男女の情をつなぐ帯として伝承されている、尚、地域によって異なった歴史的背景があり、その経路や枝法にも特色がある。
1989年(平成元年)八重山ミンサーとして、八重山上布と共に国の伝統工芸産業指定となる。
サジとは一枚の裁縫されない布地のことで、衣の発生と考えられる。
手巾は姉妹(オナリ)が兄弟に旅立ちなどの際に贈るもので、その布には霊力が宿り魂を守るとされた。
これには女の心情をも表わす花染(ハナズミ)手巾・花織(ハナウイ)手巾と二種の技法がある。
「ひじり」とは竹富島のピジリ(焦げる)の意と伝えられ、焦げるほどに濃く染め込んだ布(サジ)を二枚合わせて花嫁の「かぶりもの」とした。
島ではうちくい(ふろしき)やスディナ(衣しょう)などに使われ、濃藍で染めたマン・ヌ・ティ(蜘蛛の手)の玉模様の絣が広がりのあるおおらかさを感じさせる。
今では素材にも展開があり用途も広がっている。
「八重山・竹富町の織物展」解説書より
福木(フクギ) オトギリソウ科。他に、楊皮(ヤマモモ)・梔子(クチナシ)・八重山アオキ・ウコン
沖縄を代表する黄色染料。島の拝所に多い聖なる樹のひとつ。5月頃黄色の花が咲き香ばしい。樹皮を煮出して染料とする。季節により枝葉も染まる。その鮮明な黄色に藍をかけて美しい緑色を出す。
紅樹(ヒルギ) マングローブ。他に、紅露(クール)・車輪梅
オヒルギ・メヒルギ・ヤエヤマヒルギなど各種あり、その樹皮を染料とする。赤味の強い茶色は日光で良く発色する。マングローブ地帯は一部天然記念物として保護されている。小浜島・西表島に自生している。
インド藍(木藍) キツネノマゴ科。他に、琉球藍・クサギ・月橘(ゲッキツ)
八重山地方に自生している多年草で、夏に茂り秋にピンクの小花と種をつける。枝葉を刈り水に浸す。一昼夜の後、こした青汁に石灰を混入撹拌の後、沈殿を待つ。藍建ての際には青汁と生葉を使う。染色の仕上げにお茶(タンニン)をかけ黒く染めることもある(儀礼用などに)
赤芽樹(アカメガシワ)。他に、椎(シイ)
山地に多い高木で赤い新芽を出す。茎皮をはいで葉と共に煎じる。竹富島・小浜島・西表島に自生し、鉄媒染でグレーから黒までを染める。同系色に椎の木(イタジイ)がある。
紅の木(アンナツトウ)。他に、蘇木・紅花(タラマバナ)・月桃(ゲツトウ)
紅の木の過日をアンナツトウと呼んでいる。低木で高さ2〜4m。南方諸国で主として食品着色に用いられてきた。サフランの花芯と同じであり、染色で紅に染まることからベニノキと言われた。
「八重山・竹富町の織物展」解説書より
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