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種子取祭の日程

第1日目
(甲申)

  トゥルッキ

 島の役員が集まり、種子取の企画や仕事の役割を決める。
 また、奉納芸能の配役を決める(トゥルッキ)のもその日で奉納芸能の中心的なホンジャーの家(玻座間村は国吉家、仲筋村は生盛家)では、芸能の練習が始まる。

第2日目
(乙酉)

 奉納芸能の練習。種子取祭の供物や料理の準備。

第3日目
(丙戌)

 奉納芸能の練習。種子取祭の供物や料理の準備。

第4日目
(丁亥)

 奉納芸能の練習。種子取祭の供物や料理の準備。

第5日目
(戊子) 

 各家の家長は、それぞれの畑に出て種子を蒔く。
 また各家の女性たちを中心にイイヤチを作る。イイヤチとは、イヒハツ(飯初)の義で、「慶来慶田城由来記」に記されたイハツのことである。
 当日はチチヌニヌタニドゥル(戊子の種子取)と称されるように、もっとも重要な播種の日である。世持御嶽や六御嶽の神前では、神司(神女)による種子取祭の祈、願が始まり奉納芸能を抜露する特設の舞台も作られる。

イイヤチ
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イイヤチ

第6日目
(己丑)

 ンガソージ(ンガは大きい、ソージは精進の義で、大精進の日)と称して身を慎む日。

 物音を立てずに静かに過ごす。かつては奉納芸能の練習も人里離れた浜辺などで行い、味噌・醤油・青野菜などは食しなかった。
 夜には、奉納芸能を担当する玻座間村と仲筋村の各集会所において、芸能のシクミ(仕組み)が行われる。
 当日の昼には、オナリ神である家長のおばさんや姉妹たちを招いてイイヤチを差し上げて、蒔いた種子の成長を祈る。

第7日目
(庚寅)

 バルピルヌニガイ(割る蒜の願い)

 蒜が割れるように種子が発芽する日。前日とはうって変わって賑やかに過ごす。奉納芸能の初日目である。当日は主として玻座間村が芸能を担当し、夜は各村に別れてユークイ(世乞い)をする。

 第7日目・第8日目の詳細

第8日目
(辛卯)

 ムイムイヌニガイ(萌え萌えの願い)

 発芽した種子が萌え出る日。前日同様奉納芸能を中心に、賑やかに過ごす。当日の芸能は主として仲筋村が担当する。

 第7日目・第8日目の詳細

第9日目
(壬辰)

 種子取祭の収支決算報告、弥勒奉安殿における祈願。
 石垣島や沖縄本島や東京などから祭りのために帰省した人々との交歓会なども行う。

第10日目
(癸巳)

 タナドゥイムヌン(種子取物忌み)

 現在は行われていない。かつては各畑に薄で作った魔除けのスバ(ススキの葉で作る)を結び立て、作物に害虫がつかないようにと祈願した。
 また、「浜下り」の行事があり、神司(神女)たちによる浜辺での祈願が行われ、青年たちの相撲大会なども行われたというが、現在は行われていない。

第11日目
(甲午)

 クシユクイ(腰憩い)の日

 安息日であるが、これも現在は行われていない。


 以上のような日程で種子取祭は進められるのだが、実際に祭りらしく島が活気づくのは、7日目の庚寅の日と8日目の辛卯の日であり、それ以外の日は、種子取祭の準傭や各家庭での行事を行う。
 ただし、第5日目の戊子の日は、種子取祭の祈願のなかでもっとも重要な日とされており、古くからチチヌニヌタニドゥル(戊子の種子取)と称されるように、播種は戊子の日に行われなければならない。なぜならばツチノエネの日は、作物の種子が土に根づく日であると信じられていたからである。
 したがって、当日は家長による儀礼的な播種が行われる。これは直径1メートルほどの円形の土を耕して、稲・麦・粟・大豆などの種子を混ぜ合せて蒔く儀礼的なもので、実際の播種とはいえない。また種子取祭の神饌である飯初を作るのもその日である。

 そして、6日目の己丑の日はンガソージで、蒔かれた作物の種子のために、物音を立てずに精進するが、その日は、他家へ嫁いで行った家長のおばさんや姉妹たちが実家に戻って飯初をいただき、蒔いた種子の成長を祈る。その日につづく7日目の庚寅と8日目の辛卯の日は、島をあげての賑やかな祭りの日となる。

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