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「安里屋」といわれる歌には、4種類ある。古くから竹富島で歌われていた「安里屋ユンタ」、星克氏作詞・宮良長包氏作曲の「新安里屋ユンタ」、竹富島で歌われる「安里屋節」、石垣島などで歌われる「安里屋節」の四種類である。
新旧のユンタは、その区別がはっきりしているので間違えることはないが、「安里屋節」のほうは、若干歌詞が違うだけなので、混同される場合が多い。
竹富島と他島の「安里屋節」の違いは、ヒロインのクヤマが目差主の求婚を断った理由にある。
竹富島の「安里屋節」は、クヤマは、目差主から求婚される前に、既に上役の与人の求婚を受け入れていたので断った。となっている。
それに対して、他島で歌われる「安里屋節」は、他の島の男性と結婚するよりも、地元の男性と結婚するほうが後々よいから、目差主の求婚を断った、としており、竹富島の「安里屋節」は、古くから伝承されている「安里屋ユンタ」の歌詞を受けついでいる。
安里屋節
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意味
安里屋のクヤマに
目差主は求婚したが
豊かな世に直れ
クヤマは目差主の求婚を断った
与人様に「私をお預けします」
豊かな世に直れ
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(28.8kbpsモノラル 1:54)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
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〔クヤマの話〕
安里家のクヤマは、どんな女性だったのだろうか。また、彼女は島出身の男性と結楯したのだろうか。上勢頭亨さんの『竹富島誌』を参考に、クヤマについて紹介する。
- 安里家の位牌を調べた結果、クヤマは1722年の尚敬王時代に安里家で生まれ、1799年の尚温王時代に70歳で亡くなつた。
- クヤマが16才のときの1738年に、地割制度を施行するために首里王府からの御検使役と八重山の頭役が竹富島に来島したが、そのときの賄い方として選ばれたのが、美人のクヤマであった。
- 与人役人の愛を受けたクヤマは別れるとき、トウンドーバルの三反二畝の畑を給仕功労としていただいた。
- クヤマには、安里筑登之と呼ばれる弟がおり、姉弟とも働き者であった。また、クヤマは、毎日芋掘りの帰りに、石を1個ずつ持ち帰って石庭を築いた。現在の安里家の石垣はこれだという。
- クヤマには、子供はいなかった。
この伝承は、クヤマが美人であり、働き者であったと述べており、また、御検使役と頭役の賄い方になつたと述べる一方、与人役人の賄いにもなつたとしている。しかし、歌には、御検使役や頭役は出て来ない。
安里屋ユンタ
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意味
仲筋村へと走って行った
サー ユイユイ
組角(仲筋の対語)へと飛んでいった
マタハーリヌ 愛しい彼女よ
道々を回ってみると
村を回ってみると
道々の景色のきれいなことよ
村の風景の美しいことよ
乙女に行き会った
かわいい子に行き会った
かわいい子よ あなたは誰の子
乙女よ あなたはいずれの子
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(28.8kbpsモノラル 1:19)
(「てぃゆむたきどぅん」より収録)
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