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竹富公民館は復帰前の1970年に、高等弁務官資金で建設されている。住民は1人当たり1斗缶2杯のバラスの提供が義務づけられた。
そのバラスも屋敷の石垣を崩すのではなく、畑のあぜから運んで細かく砕きセメント、砂、水を加えてスコップで練り、バケツリレーでスラブを打ったという。
お茶の当番は2軒ずつで持ち回り。休憩時問には西塘御嶽で話がはずんで、そんなときにユンタも昔話も覚えたものだと年配者たちは懐かしそうに話す。牧歌的な良い面だけでなく、当時だっていろいろ問題はあったはずだ。
それでも最近のあふれる観光客の応対に振り回されて、島がぎくしゃくしかねない状況になってくると、まだしも30年前が豊かだったのではないだろうか。そんな光景を思い浮かべてみると、体験してなくてもこれが本来の結(ユイ)とか「うつぐみ」とかいうものだろうかと、うらやましくさえなってくる。
それほどまでして建設された、まさに住民の汗と愛着のこもった公民館も寄る年波には勝てず老朽化は進行するばかり。国庫補助のメドもたたない。かといって手をこまねいてもおれず、いつの日かのためにと毎年の生まれ年の人たちは、1万円ずつ拠出して積み立てを始めて10年になる。
大企業にねだることもせず、いつかよい日も来るだろうと願っていたのが文化庁を動かした。あの一番予算をもたない省庁である文化庁が1億2千万円の予算をつけて「まちなみセンター」を建設することになった。取り壊す際には30年間の感謝を込めて、お別れ会をしなければなるまい。
それにしても媚びず、動ぜず、祖先からの文化を誇りとしてきた竹富島の一貫性が国をも動かした。県、町をはじめ関係各位に深謝。