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竹富島のこと
大和梱包株式会社社長
宇野 昌
「星砂の島」創刊号より
島の偉人「西塘」を育んだこと、八重山における行政官庁である「蔵元」は我が島から始まり、また造船は我が島の武崎(地名)で始まった。
と、高らかにうたっています。
新川明さんの『新南島風土記』は、西塘(人名)について、こう述べています。
八重山初めての頭(かしら)職である西塘は、いまから465年前、沖縄から派遣されたオヤケ・アカハチ(人名)征討軍の総大将・大里親方にその非凡な才をみこまれて首里に連行され、王府に仕えた逸材と伝えられている。王府在勤25年、その間永正16年(1519)には園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の建造にあたり、また首里城北面の城壁の設計建設にあたったと伝えられている。このような功績によって、大永4年(1524)に竹富大首里大屋子(ウフシュリウフヤク)(頭職)に任じられ、故郷に錦を飾った。純粋の八重山人で、八重山の頭職になつたのは、彼がはじめてであった。
また、「シキタブン」の最後の歌詞は、「かいしくさや うつぐみどぅ まさりょうる」と結んでいます。この意味は、「この世は、みんなが一致協力するウツグミ(協調)の心で生活してゆくのが一番素晴らしいことだ」ということです。
海に囲まれた竹富島の昔は、今のように自由に行き来できませんでした。村の人たちは結束し、共同作業によって畑を広げ、さつま芋や麦、粟を作り、島での生活を守ってきました。「シキタブン」の最後の歌詞は、このような竹富島の昔の生活に根ざして生まれたものだと思います。
我が島、竹富は琉球列島の小島にすぎませんが、いろんな伝統文化を築くと同時に、それを発展させて、自分たちの精神生活をゆたかにしてきました。
竹富島はいま、観光ブームのおかげで全国的に知名度が上がりました。しかし、これも自然と先祖の遺産にすがりついているだけです。この恵みをもっと大切にして、さらに活用・発展させる必要があります。なぜなら、(幾年古里来てみれば)の唱歌、『故郷の廃家』を思い出すからです。