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沖縄県八重山諸島の竹富島。
これが私の故郷です。島の周囲は九キロメートル余りで、起伏に乏しいうえ、山も川もありません。それこそ、掌の上に乗るような小さな島で、この小島からみた石垣島や西表島は大陸のように思われました。
私の子供の頃、島の人口はおよそ二千名。終戦後の混乱期で、島には、本土や外地から戻ってきた人々があふれんばかりでした。私自身も母に手を引かれて台湾から帰還した一人です。琉球列島の南端に浮かぶこの小さな島でも、敗戦の傷を引き摺っていました。
島びとたちは、食糧を確保しようと、畑を作り、漁に出かけ、牛や山羊を飼いながら、必死で働いていました。しかし、東京生活のいまを思うと、なんとなくノンビリした長閑な雰囲気がありました。夜になると歌やサンシン(三味線)の音色が聞こえたり、道を歩く人々の笑い声や、青年たちの遊び騒ぐ嬌声が遠くのほうから聞こえてきました。
私が竹富島で暮したのは小学校時代だけですが、子供の頃の竹富島は、神秘に満ちた不思議な島で、宇宙そのものでした。
今となっては、滑稽としかいいようがないのですが、あの小さな竹富島で、たまに行方不明になる人もいました。すべての人々が農作業を終えて夕食を済ませたころ、突然銅鑼の音が村全体に響きわたり、
「誰それが、まだ畑から家に帰ってない。マジューヌ(妖怪のような魔物)に連れ去られたぞ」と、叫ぶ声が聞こえてきます。
大人たちは野や森に分け入り、タイマツをかざしながら銅鑼や太鼓を叩いて失踪した人を探しまわりました。
少年の頃、竹富島にはマジューヌが出たりして、恐ろしい場所がたくさんありました。墓地や御嶽、夜のクック(地名)やンーブル(地名)のあたりも怖いいところでした。日が暮れて暗くなりだすと、集落のはずれはもちろんのこと、時には村の中にまでも、マジューヌは出没していたようです。
牧草地のない竹富島では、野原や森の中での「山羊や牛の草刈り」が子供の仕事になっていましたが、そのときに恐ろしい思いをしたことがあります。
竹富島は、島の中央部が集落になっており、そのまわりは野原や畑です。島の子供たちは、その野原や海岸近くの森で「草刈り」をしましたが、草木の青々と生い茂ったスイノメーは、とても不気味な感じのするところでした。
私は幼いころ、草刈りに出かけて、スイノメーで迷ったことがあります。あの小さな島の、さらに小さなスイノメーで自分が来た道、帰る道が判らなくなったのです。