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「しきた盆」のせかい


随筆家 岡部伊都子
「星砂の島」創刊号より

 

数え切れない思い出があります。
うれしいこと、感動したこと、安らいだこと。小さな人と遊ぶうれしさを思いますと、いまも忽ち目が細くなります。祭りのお稽古を見せてもらったり、好きな三線(サンシン)、アヨーやジラバやユンタを歌い弾いてきかせてもらったりしたよろこび、「ここを通る人は幸せになるという門だよ」と幸せ寸法に、「こぼし文庫」の石垣をきずいて下さったお話、次から次へと、心に湧いてくるのは、なつかしい島の人びとの面影と、そのたたずまいなのですが。
十余回にのぼる島への「帰省」も、そのたびに何か心の痛むことがあって、望まぬ変化も見られました。「何を言うか」と、たとえ叱られましても、お願いしておきたいことがあります。
一九八四年九月、上勢頭亨(うえせどとおる)氏のお墓まいりに島をたずねました。島を訪れた者で、氏の造詣のお教えをうけなかった人は、少ないのではないでしょうか。上勢頭亨著『竹富島誌(たけとみしまし)』の二巻を、よくまとめておいて下さったと、外間守善(ほかましゅぜん)先生に感謝せずにはいられません。「小さい時から好きでした」と仰有っていしましたが、古文化財、民具の蒐集(しゅうしゅう)、祭祀の儀礼、民芸、芸能、なににつけても大きなお力でした。
この方のみならず、竹富島からはすぐれた文化人知識人が、たくさんお出になっていますが、わたくしには、それも、島の歴史や風土からの賜りものという気がいたします。
昔の苦しい時代、その悲痛を常とする労働の生活に、自ら美しい家並みや集落を形づくり、美的水準の高い創造をしてきた先祖たちの力が、遠くも近くも、人物を育む因となっているはず。
ご先祖たちの美しくみせようとして美しく作られたのではない暮しのすべてが、結果として美にみたされていたという事実。島の底力として、それが自覚され、活かされたいと思うものです。
なぜなら、その力は、只今の「便利な観光」によって、揺れ動く不安があります。とくに、島を出て成人された「こぼしさま」たちが、一種の「ふるさと喪失感」として、自然の汚濁や、島の各地が島の子のためというより観光者のためのものとなってゆくさびしさを語ります。
四方八方ひらけた海でさえ、歩いてみた時、水色がよどんでいるように見えて、胸が重くなりました。もちろん、こちらの海となら、その美しさの透明度、比較にならない奇麗さです。
でも以前の竹富の海と比べれば、うんと色が変わってきていました。これは、竹富島だけの問題にとどまらない八重山全体の問題でしょう。

種子取祭の夜のユークイ
岡部先生と竹富島の子供たち(昭和53年)

 

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