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まだ、あの時感じた興奮が残っているような気がする。
小説やテレビでしか触れたことのなかった沖縄。私の心の中で勝手に育っていった私の沖縄は、大らかな自然の中で満ち溢れていた。大地も人をも、焦がさんばかりにギラギラと照りつける太陽。青緑色の透き通った海。その上をわたる透明な風。そして人々−。
琉球処分、第二次世界大戦での悲劇など。沖縄の歴史を知らないわけではないが、あくまでも私のイメージとして存在していた沖縄をこんなに身近に感じることができるなんて思いもしなかった。しかも、伝統文化を通してである。
海の彼方にあるという豊穣の国・ニライカナイ。竹富島に根付く伝統と文化が長い年月を経ても、今なお人々に伝えられているということに私は強い感動を覚えた。同時に、この北の国で、差別と偏見から、無理解の波に呑まれつつあるアイヌの文化にもっと目を向けなければならないとも思った。日本の最北端と最南端に遠くはなれていても、双方の文化には、根本において似通ったものがあり、否定できるものなど何一つないのだから。
それにしてもすごいと思う。最初から最後まで引き付けられっぱなしのステージだったのだから。こう言っては失礼だが、狂言や踊りなど、技術的に見てすばらしく上手だとは言えないと思う。
しかし、それにもかかわらず、あんなに大勢の観客を引き付けることができたのは、演じる側の何物にも勝る熱意と誇り、長い年月の生み出した伝統の力であろう。
解説者としてステージに立った狩俣先生は、大学の講義のときよりも何だか生き生きとしていた。大勢の観客の前で、自分の生れ故郷を誇りを持って紹介できることが何よりもうれしいというような、そんな顔だった。ステージで踊っていた人たちも、公演にかかわった人たちも、すべて良い顔をしていた。順を追って紹介される芸能のひとつひとつの動作を見ながら、私はその思いを強くしていった。
耳に残る独特の沖縄サウンドに合わせて、かけ声とともにシャキシャキと踊る男衆。私の好みは、静かな舞よりも、活発な踊りであった。その点からいくと、シーザ漁りやンーマヌシヤー(馬乗り)なんかは最高だった。特にンーマヌシヤーは、かわいいと言う表現がぴったりの、あの馬が何とも言えぬ雰囲気を醸し出していて、他の何より心に残った。
何とも惜しかつたのは、カジャーキョンギン(鍛冶工狂言)であった。なんとなく内容はわかったものの、あの場で思いっきり笑えなかつたのはやはり悔しい。唯一、同時通訳のほしかったところだ。
しかし何と言っても、フィナーレに勝るものはなかった。狩俣先生の「どうぞ、一緒に踊って下さい」という発言に勢いを得て、ステージに乗り込んだ人たちの楽しそうな顔。そのステージになぜ私の顔がなかったのか? べつに冷めていたわけではない。ただ、ステージが遠かっただけなのだ。ステージにたどりつくまでに幕が閉まってしまいそうで、うずうずと踊り出す手を握りしめ、ただひたすらステージを見つめていた。
生まれた場所や育ちの違いなど、たいした問題ではないのだ。あのとき、一緒に踊っていた人たちは、みんな同じ顔をしていた。うれしくて楽しくて、たまらないという顔。その中で、狩俣先生の顔が一際目立っていたことはいうまでもないが、きっと私も、同じ顔をしていたことであろう。久しぶりの楽しい夜だった。

フィナーレ
