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「竹富島の芸能」のフィナーレが始まったとき、私の前のほうに座っていた背広姿のおじさんが、「もう座ってなんかいられない」という感じで立ち上がった。
しかしおじさんは、なかなかステージに上がっていかなかった。私は「おじさんもステージに上がればいいのに」と思っていた。踊りを知っている人たちは、既にステージの上で踊っている。
早く早くと気を揉んでいたら、おじさんはようやくステージに上がってくれた。私はそのおじさんを見て、とても感動してしまった。おじさんの踊る手を見ていたら、本当に楽しそうに、嬉しそうに踊っていることが感じられた。
踊りも知らず、まして、沖縄の言葉も知らない。狂言を見ても笑うことも出来なかった私だが、あの最高に盛り上がったフィナーレで、ステージに上がって一緒に踊れる醍醐味を味わえるおじさんは、とてもうらやましいと思った。私はそのおじさんに大きな拍手を送った。
私が「竹富島の芸能」を見ていて不思議に思ったことは、直接神様に触れ合っているように思えたことである。
私の感覚だと、神様というのは、いつも鳥居や境内の中に祀られており、私たちが出向いて行って参拝するものだと思っていた。
だから、ユーンカイ(世迎え)の儀式で、カンツカサ(神司)が、神々の住む理想郷=ニライカナイから、豊穣の神を迎えるということも、不思議に感じられた。
ステージの種子取祭では、迎え入れた神様とともに、「道歌」を歌いながら各家々をまわる様子が窺えた。家の門を入ると、「巻き歌」を歌うが、訪れる人と迎え入れる人々が入り乱れるというか、向かい合っていたのが中央に寄って一つになるような踊り方をしていた。ステージのその様子は、神様と触れ合っている感じがして、人と神様が身近にあるという印象を持った。
カジャーキョンギン(鍛冶工狂言)は、農具を製作する鍛冶屋仕事を狂言に仕立てたものだが、立派な農具が出来上がるようにと、鍛冶神に呪詞を唱えている。神事的・儀礼的な要素が濃い狂言である。
しかし、若者が出来上がった農具の点検をする段になると、ユーモアたっぷりの様子が窺えた。出来たての熱い農具をさわって、火傷をして大騒ぎになるのであるが、私には言葉がわからないので、動作だけを見ての印象であった。
「竹富島の芸能」を見て、種子取祭に興味を抱き、調べてみた。種子取祭には、大きな布袋様のような弥勒(みるく)神が登場する。仏教の弥勒と違って、子供を従えていることや、その顔立ちからも親しみやすさが感じられる。
その弥勒神に扮装できるのは、代々与那国家の当主でなければならないという。つまり種子取祭には、与那国家の子孫がこれからもずっと必要であるということであり、同時にその土地に居続けなければならないということを意味している。
先祖から自分たちの代、そしてこれからの子孫の代と、縦のつながりを絶やさないということが、種子取祭の重要な柱となっており、土地との結び付きが強い祭りだと感じた。昔と現代を比べたら、生活の様式も、人々の意識も変わってしまったはずである。現に竹富島の主要産業は、農業から観光産業へと変わっている。それにもかかわらず、今でも人々の中で生きた祭りであり、伝承され続けているのは、なぜだろうか。
プログラムの解説の中では、「現代の種子取祭は、竹富島という共同体に生きる人々のアイデンティティーを確認する場として機能している。種子取祭を通して、竹富島の人々は、神々の時代から現在までの共同体の歴史を確認し、その共同体の構成員である自分の存在意義を確固たるものにする」と、述べられている。
人々の中で、このように具体的に意識されることはなくても、フィナーレでステージに上がって踊りだしたあの雰囲気が、まさにそれだったのではないかと思う。
先祖を救う風習はどこにでもあるが、その奥行の深さを感じたことはなかった。その私に、「竹富島の芸能」は、祖先や土地と結び付いた歴史の確かさを教えてくれた。
種子取祭では、「歴史」が歌や踊りに置き換えられ、人から人へと伝えられている。それゆえ、文化として、生きた芸能として、私たちの心を揺さぶるのだと思う。

カジャーキョンギン(鍛冶工狂言)