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集落における会館の必要性について


国学院短期大学教授 狩俣恵一
「星砂の島」創刊号より


2 会館建設と寄付の要請

まず、地元としては、会館は必要不可欠のものであるが、現在住んでいる人々だけで建設資金を調達するのは不可能である。そこで肩身の狭い思いをしながら、島外の出身者に建設資金の寄付を依頼することになった。
一方、寄付の依頼を受けた島外在住の出身者には、千差万別のさまざまな思いを抱いた人々がいる。昔のように都会にはお金があり、農村にはお金がないという時代ではなくなったので、島外に住む出身者の思いはますます複雑化している。私が寄付の集金を通じて感じたことは、次の二点である。
@人口の少ない、あの小さな竹富島で、どうして各集落ごとに会館が必要なのか。公民館一つで充分ではないか?
Aかつて、東集落・西集落の会館は不要とされていた。過疎化とともに会館の必要性はなくなったと思っていたのだが、ますます人口が減少している近年において、会館の必要性が出てきたのはなぜか?
島外に居住する出身者のなかには、右の@Aの疑問を抱きながらも、「島のため」という言葉の力に圧倒されて寄付をされた方も少なくないと感じた。もちろん、「島のためにはせめてこれぐらいのことをしなくては」という熱い気持ちで、喜び勇んで寄付をされた方々もたくさんいた。
将来の竹富島を思うと、このような複雑化した現状を克服することは、私たちにとって重要な課題である。不満を言う人は、黙って寄付をしなければよいなどと切り捨ててはいけない。なぜなら、疑問を抱いている方々も、竹富島のことを真剣に考え、自分の生まれ故郷の竹富島を誰よりも愛しているという事実に変わりはないからだ。

さて、上の@の疑問について考えてみよう。@の疑問が生まれる理由は、都会生活をしていると、一キロや二キロの距離は近いという感覚から出ている。
竹富島の公民館の場所を考えると、竹富島のどの家でも公民館から一キロ以内にあり、しかも公民館の利用度は少ないから、それぞれの集落が調整して利用すればよいではないかという思いが出てくるのは当然である。
この疑問に対して、「距離的な問題は、確かに克服できる。」と地元はいう。しかし、決定的な問題は、竹富島の集落単位の活動が都会の町内会の活動とはまったく違うということである。
各集落の活動には、もちろん都会の町内会的な側面もある。しかし多くは、種子取祭や十五夜祭などの打ち合わせや踊りの練習などの祭事行事のために集まる場合が多く、お互いの集落の集まりが同じ日時に重なることが多い。また、衣装や踊りの小道具など、集落の共有財産の保管場所も必要である。

次にAの疑問についてだが、その件に関して、私はこう思う。確かにご指摘のとおり、人口減少とともに、各集落の会館の必要性が薄れ、東集落・西集落は会館をかつて売却したことは事実である。
そのときの考えは、人口も少なくなったことだし、踊りの練習は踊りの師匠の家でやればよい、寄り合いは集落の責任者の家に集まればよい、との考えが支配的だったと想像される。しかし歳月を重ねた後、その感覚ではやってゆけないことに気付き、再び会館建設の必要性が出てきたのである。
東・西の集落が、人口減少とともに会館が不要になったと感じるのは自然のなりゆきのように思える。しかし、更に人口が減少した近年に至って、再び会館の必要性を感じるようになつたのはなぜだろうか。
その答えは、〔公〕と〔私〕の区別をより明確にするようになった現代社会の雰囲気がもたらしたものである。(仲筋が東・西集落と違って会館を売却しなかったのは、仲筋には、雰囲気として〔公〕と〔私〕の区別を明確にする気風があり、その気風が会館を売却せずに、維持することになった、と私は思っている。)

 

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