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A1 沖縄では、本土の神社に当たる拝所をウタキ(御嶽)といいますが、竹富島ではその拝所を、オン(御嶽)・ヤマ(山)・タキ(嶽)・ムル(杜)などと呼びます。従って、ムーヤマ(六山)とは、「六つの拝所」という意味であり、竹富島の数多くの拝所の中でも、もっとも重要な拝所のことです。
ムーヤマに祀られる神々は、「六人の酋長たちによつて、屋久島・徳之島・久米島・沖縄本島などから分神した」と古文書に記されています。その起源は明確ではありませんが、西暦1500年以前のことではないかと推察されます。現在、ムーヤマの一つである花城御嶽周辺の発掘調査が始まっていますので、出土品から年代がなどが明らかにされるであろうと期待しています。
【玉城憲文】
A2 上勢頭亨さんによると、竹富島の拝所は86カ所あり、そのうちで、御嶽と呼ばれるものは24カ所あるとのことです。その24カ所の御嶽の中の、玻座間御嶽・仲筋御嶽・幸本御嶽・久間原御嶽・花城御嶽・波利若御嶽をムーヤマ(六山)と呼んでおり、竹富島の重要な拝所となっています。
ムーヤマでは、それぞれの祖神を祀っており、各々の御嶽には、各々の村があったと伝えられていますが、『琉球国由来記』はそのことを次のように記しています。
昔、竹富島に、玻座間村の根原かみとの、仲筋村のあらしはなかさなり、幸本村の幸本ふしかわら、久間原村の久間原はつ、花城村のたかねとの、波利若村の塩川との、という6人の酋長がいた。6人の酋長たちは心を合わせ、島のため、作物の実りために守護神を拝みたく思って、願ったところ、願いが叶い、神様が各々の島から渡ってきた。それで、6人の酋長をはじめ、村の者たちは謹んで敬い、各々御嶽をこしらえ、拝み始めた。
以上のような由来を持つムーヤマは、ムトゥヌヤマ(元の山)と呼ばれ、カンツカサ(神司)、テジリビ(手摺り部)・トゥヌイムトゥ(殿居元)・ヤマニンジュ(山人数=氏子)などで組織されています。
そのムーヤマとともに、重要な御嶽が、フイナーオン(国仲御嶽)・清明御嶽(マイノンともいう)・西塘御嶽で、それらをムラオン(村御嶽)と呼んでいます。
【阿佐伊孫良】
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