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竹富島の昔話

 崎山毅『蟷螂の斧』より

力くらべ

 昔、八重山で力の名人と評判された崎田武士と離島で力持ちと言われた竹富村の他金殿(タカネトノ)の両人の話し合いにより、ヤドバーレという軒の右の戸を押し勝負することになりました。
 崎田武士は年若く体が太く、みるからに立派な体格であったので、一般の評判としては崎田武士の方が勝つでしょうという声でした。

 いよいよ勝負の日となり、他金殿は腹ごしらえのために部下にいいつけて餅米の御飯を一升準備させました。崎田の方からは勝負の時間ですから早く来なさいと使いがありました。
 他金殿は崎田の使者に、「私は年寄ですので歯がなくて御飯を食べるのに長い時間がかかりますから、あと2時間ほどで中食をすませて参りますから、私の参る時間をもって勝負する事にしよう」と言って、使者に連絡をしました。

 崎田武士の使者は他金殿の返答を持って門を出ました。他金殿は大急ぎで餅米の一升の御飯を一口で食べ、充分腹ごしらえをして馬に乗って急ぎ崎田武士の家に行きました。
 他金殿は、「私は中食をすませて勝負することに連絡してありましたが、せっかくあなたの希望です。時間をのばす事は貴方に村して失礼だと思いましたので御飯を食べずに急ぎ参りました。早く勝負をすませてから中食をする事にしよう」と言って勝負を始める事にしました。

 地面についていた一坪の石の戸を両人で立て、その石の戸を押し勝負が始まった。崎田武士は力いっぱい一生懸命になって押します。他金殿は石の戸をただ倒さぬように両手でささえ、一つも力を入れず平均をとっていました。
 崎田武士は時間がたつにつれて力が弱くなり腹は減るし、腹に一つも力を入れる元気がなくなっていきました。他金殿はこの時ばかりと石の戸を押し始めました。崎田武士は力が弱くなって、後に後にと押され、ケーラ岬という所で石の戸をささえきれずたおして押し切られてしまいました。
 石の戸で切られたという意味からケーラ岬と言ったそうです。

 

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