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竹富島の昔話

 崎山毅『蟷螂の斧』より

死人の生きかえりと三日の墓参り

 弘化元年の事(1844年)竹富島の新田マハツという人が田福家に嫁ぎました。ところがマハツには子供が1人もできませんでした。そのため、死去するときに、自分が死んだら田福家の墓には入れてくれるなと言い残しました。遺言どおり、里の新田家の墓に入れることにしました。
 里の新田家には妊娠して臨月の嫁女がいました。竹富の習慣として、妊婦のいる家に死人が出たら墓を開ける事が禁じられていました。しかし、マハツの頼みであったので新田家の墓にマハツを葬りました。

 ところが墓の中で新田家の祖先で亡くなったマツンーメという人が、「田福家の嫁として行ったからには子供が無くても田福家の墓に行くのが道理です。新田家には近日中に嫁がお産をひかえているにもかかわらず、その墓を勝手に開けた事は決して許されない。早く戻って嫁の安産をすませて来るように」と強く言い聞かせて、マハツを生き返させました。
 死んでいたマハツは目をさまし、棺桶のふたを開け、暗い墓の中で3日間も生きていました。

 ちようどそのころ、墓所の畑地主である領本カイシがお墓の側で芋を掘っていました。墓の中から音が聞こえ、人間の声がするのでした。カイシは不思議に思い静かに墓の側に寄ると、墓の中から「カイシ、カイシ墓を開けてくれ」という言葉が聞こえました
 カイシは驚いて村に帰り、村人や親族に伝え、村の人々はタイマツの明りを準備し、午后6時に墓の入口を開け、生き帰ったマハツを助け出しました。そして、宇根叔父さんがマハツをおぶって村に帰ってきました。

 マハツは祖先の伝えを親族にいい聞かせ、4日目に嫁が安産で子供を産むと、出産した子にカナシと命名し、7日目にマハツは死去したそうです。
 それから竹富島では3日目のお墓見舞いという行事が行われ、墓では死人の氏名を3回呼ぶようになったと言います。

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