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神々と歴史

 昔、竹富島に屋久島、徳之島、沖縄本島、久米島より6人の王(酋長)たちが渡来して、村を創建しました。
 根原金殿ねはらかんど玻座間はざま村、他金殿たかねとの花城はなぐすく村、幸本節瓦こうもとふしかわらは幸本村、新志花重成あらしはなかさなりは仲筋村、久間原発金くまはらはつかねは久間原村、塩川殿しおかわどの波利若はりわか村を建てました。
 ところが島は小さく、耕地が少ないために領地の紛争が絶えなかつたので 6人の王(酋長)たちは、協議して次のような領地の配分を決めました。


 花城村の他金殿は、土地よりも海を所望した。それで竹富島の卯・辰・巳・午の方角の海を分けてもらい、海の所有者となった。

 玻座間村の根原金殿は、美崎みしゃし付近の土地を所有した。粟作に努められたので、「粟の神」として祀られている。また竹富島の子の方角のヒラソイ(平岩)、アイヌソイ(東の岩)、イリヌソイ(西の岩)などの大きな岩のある海を分けてもらった。

 幸本村の幸本節瓦は、竹富島の西方のフージャヌクミを中心とした土地を所有した。大豆・小豆などの豆類を栽培したので、「豆の神」として祀られた。また海の配分は、竹富島の西の方であった。

 仲筋村の新志花重成は、竹富島の中央部に位置する土地を所有した。麦作に努められたので、「麦の神」として祀られている。また海の配分は、竹富島の戌亥の方角であった。

 波利若村の塩川殿は無欲な人だつたので、新里村の一角のわずかな土地と竹富島の寅の方角の海を所有した。しかも彼は、年齢が一番若かったので先輩の酋長たちの作物のために「雨の神」 となった。

 久間原村の久間原発金は、耕作地に不適当なヒシャール・クムイ・カイジなどの土地を所有したが、植林に励んで 「山の神」 となった。海の配分は、竹富島の未・申の方角であった。


 6人の王(酋長)たちは、その役割に応じて活躍されたので、各御嶽でそれぞれ作物の神として祀られることになりました。また各御嶽の呪詞では、それぞれの領有した地名を唱えています。

 崎山毅『蟷螂の斧』より

概念図
伝説による島の概念図

 

 

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