全国竹富島文化協会 サイト内検索

AND OR
文字の大きさ
  普通  大きめ

竹富島訪問の記 〜僻遠の孤島、模範の村〜

 沖縄師範教諭 稲垣國三郎

話が二時間ばかりで終ると、歓迎慰労の意を表したいとのことでさる席に案内された。それはある豪家の大広間で、集まった人々は村の有志数十人できわめて賑やかである。琉装した土地の娘さんが小笠原流の作法でしとやかに配膳してくれると、次の部屋で男の人々が美妙な音楽を奏する。たくさんの蛇皮線・笛・太鼓の合奏で、哀調を帯びた俚歌を合唱する。古雅なゆっくりとした調べで、これをこうして遠い遠い八重山の一離島で聞かされては、ますます客情の哀れを催さざるを得なかった。
かくして歓楽の夜はふけて行った。片破月を仰ぎながら、与那国君の家に引き上げたのは十二時過ぎであったろう。

翌朝村内を見学した。島内一帯白珊瑚の破片からなる砂地で、ちょうど白米を蒔き散らしたようですがすがしく、加えて屋敷内にも門にも木の葉一枚落ちておらず、箒のはき目がしっかりとついている。辻々には公徳箱が備え付けてあって、貝殻の破片やガラスのかけらが入れてある。聞けばこれらの清潔整頓は青年団と在郷軍人会の朝食前の奉仕的活動の結果であると言う。
羨ましく思ったのは、村内には盗賊がいないので、家々でも錠も鍵も不用、夜分には戸を引き立てにするか、開け放しのままであることだ。時代の進歩につれて新しい文化的美風が入り込むに拘らず、純朴そのものが昔ながらに残されている。

島の地味はあまりよくないので、人々は刳舟で西表島まで行って播種し、収穫時にはとりに行く。いかにも原始的農業であるが、そうかと思うと村に大きな石油発動船を共有して共同で鰹漁に従事し、均等にその利益を分配するなど進歩的な産業組織がある。竹富村は共同一致の美風を有する県下の模範村である。帝都を距てる一千里の僻遠の孤島に、こうした模範村を見て敬虔の念にうたれた。

<--前ページ / 次ページ -->

 

Home / 竹富島紹介 / 種子取祭 / 竹富の文化 / 歴史と昔話 / 竹富島Q&A / NAPCOTI / 竹富島辞典 / サイトマップ
National Association for the Preservation of the Culuture Of Taketomi Island
Copyright © 2006. All rights reserved by NAPCOTI.