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沖縄師範教諭 稲垣國三郎
石垣島と西表島との中間に周囲わずか十二キロの小島がある。この島を竹富村という。西表島は周囲百二十八キロもあるのに竹富村の大字とはおもしろい。しかし世界にもイギリス村大字カナダなどがあるから、あえて不思議もなかろう。
それはさて偶然なことでこの竹富島を訪れることになった。
八重山の夏季講習後、私は台湾へ渡ろうと言うのだ。講習は終わったけれども台湾行の汽船は来ない。旅館で無益な日々を送っていると、ある日竹富島から与那国善三君がわざわざ訪れてくれた。与那国君は竹富島の出身で、私の部下の訓導(沖縄師範)であるが、今は夏休みで帰省中である。毎日一緒に執務している間柄でありながら、こうして学校から二百五十里もの遠方で落ち合ったことは、何かしらか奇蹟的な事のようにも思われる。
与那国君はぜひ一度私の村(竹富島)へ遊びに来てくれと言う。行きたいのは山々であるが、もし竹富島へ行っている間に台湾行の汽船を乗り逃がしたら困るので断った。
再三の勧めに応じないので与那国君はすごすごとして島に帰って行った。
翌日は村の有力者とともにまたやって来た。再三再四の懇請に動かされて、いよいよ竹富行を決心した。
一行は細長いボートのような刳舟(くりぶね)に乗って石垣港を出た。八重山の夏のま昼は、海上でもかなり陽光が強いため洋傘で日光の直射を遮っていた。カラリと晴れた空は紺碧に澄み、海はまた底も知れない深さをインヂゴ色(藍色)に示している。海軟風がそよそよと吹いているので言い知れない心地よさである。やがて帆を上げると舟は矢のように進む。
遥かな水平線上に緑の一線が見える。何かと聞くとあれが竹富島だと言う。物珍しくて眺めていると緑の一線の下に更に白い一線が見え出した。聞けば砂浜だと言う。いよいよ珍しく見つめていると砂浜に黒い点々が見え出した。
更に近づくとそれは大勢の人の群れである。だんだん島に近づいてきた。長い緑の堤防のように横たわって、島の裾には白い砂浜が見渡すかぎりつづいて、左手の浅瀬に一隻の難破した汽船が残骸を半ば露して、波に翻弄されている。淋しくも痛ましい思いで見ていると舟はスーと音もなく進んでやがてピタリと止まった。砂浜まではまだ五・六町もあろう。海底は五・六寸の深さで畳を敷いたように滑らかな岩石がつづいている。
いやでも素足で渡らなければならない。靴を脱ぎにかかると一人の青年が背負ってやるという。躊躇していると、たってすすめるのでその厚意に甘んじて背負われて砂浜に上がった。