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島のうつりかわり

琉球大学教授 西里喜行
「星砂の島」第1号、第2号掲載

6人の英雄と同族集団


 古記録や伝承によると、竹富島の歴史の初期には6つの同族集団(血縁集団)の部落名とその首長としての6人の英雄の名前が登場する。
 玻座間村の根原(ネーレ)カンドゥ、花城(ハナック)村の他金殿(タガニドゥン)、久間原(クマーラ)村の久間原(クマーラ)ハツカネ、波利若(バイヤ)村のスーカードゥン、仲筋村の新志花(アラシハナ)カサナリ、幸本村の幸本(コーント)フシンガーラの6人である。
 彼らはいづれも薩南諸島や沖縄諸島などの北方の島々から守護神を招いて各部落の御嶽に祭ったという。いわゆる「六山(ムーヤマ)の神」であるが、後には6人の英雄たちが各々「六山の神」と一体化して祭られる対象となった。

 6人の英雄たちが、「六山の神」と同様に北方から渡来したのか、それとも竹富島に生まれ育った人々であったのか、異なる時代に各々前後して竹富島へ渡来したのかはよく解らない。
 伝承によって推測すれば、まず竹富島に渡来したのは、他金殿である。他金殿は島の北方に地下水(ハナックンガー)を発見し、まもなく同族集団を率いてハナックンガーの東側に新里村を築いて定住したので、この島はいつしかタキドゥンと呼ばれるようになったが、どういうわけか他金殿とその同族集団は島の東方へ移動し、新たに花城村を建てたという。

 次いで渡来した根原カンドウの率いる同族集団がハナックンガーの西側に部落を形成し、もっとも有力な勢力に発展した。おそらく他金殿の系統の一族は根原カンドゥの一族の圧力に低抗できず、14世紀頃には東方の花城村へ移動せざるを得なかったものと思われる。6人の英雄に象徴される6つの部落の間では、激しい勢力争いが展開されたことを暗示する伝承も少なくない。

 伝承と遺跡と古記録を結び付けて考えると、竹富島では12世紀から15世紀にかけて、いくつかの同族集団が部落を形成して定住し、漁労生活からはじめてまもなく農耕生活を営むようになり、互いに対立と抗争を繰り返しつつも、他方では協力と共存の道を模索していたといえよう。種子取祭の巻歌はこのような史実の残映とみなすことができる。

 注 種子取祭の巻歌によれば、粟の種子蒔の日撰りをめぐって、根原カンドウと幸本フシンガーラとが争い、収穫の多寡によって前者の勝利が判明すると、まもなく他4部落の指導者(英捷)たちも根原カンドウに従い、以後島全体が一つになって種子取祭を行うようになったという。

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