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南風の里「八重山・竹富町の織物」

 

親から子へ子から孫へ

内盛 島では織物と踊りは一緒、師匠といっても免許を取ったわけでもなく、下手な師匠ならそれなりにうけついでいく。織も同じで親の仕事を見ながら真似したり、そばで手伝いをしたりしてこの年齢になるまでなんとかやっていけるようになった。
 島で生まれ育って親がやっていることを子が見て、やがて孫が見て、織をしてみたい気持ちが生まれると受け継がれる。織も芸の道も同じだと思う。

 

生活の中の織物とは

内盛 これは自然の中から生まれたもの。一番よくわかるのは八重山のかすりで、島の言葉でトーニィといって豚のえさ入れに似た模様。自然から出た言葉でトーニイの柄というのがある。この方言から、日常生活の中からこのかすりができたことが分かる。
 トーニィの縦と横をつなげるとバンジョウ柄(大工のものさし)ができる。その他、クトゥの山(琴の弦を乗せる山)など方言名のかすりができる。八重山のかすりの柄は日常生活の中で作られた。ミンサーにしてもいわれがある。

トーニー
トーニーバンジョウ

 

島仲 小さい時、おばあちやんが糸を紡いで巻いていた。それをいたずらしながら、また怒られながら見ていてそれが自然に身についた。まさか織をするという気持ちは全くなかったがそのような環境で育ってきたから、すんなりと織にも入れた。
 その後、家に機を立てておいたら、子どもも興味を持ち、やってもいいかと聞くようになった。成長して親と子で織の話になると親子という関係が取り払われて、何時間も話し続ける。自然な形ですんなりと織の中へ入ったことは、竹富の環境がそうさせたのだと思う。

 

戦前、戦後、その時代によりうけとられ方に変化

内盛 ミンサー織は一時途絶えたが、昭和38年ごろ細々と一人でやっていたおばあちゃんを講師にして若い人たちが講習を受けた。自分も子育ての時期で大変だったが、一日50セントの日当で島の3分の1地域くらいを占める牧場の石積みを頼まれた。
 お金にならない織物をやめてこちらで働きなさいと言われたが、子どもがいて外へ出て働くこともできずにいると、織の講習があった。子どものことが気になったが、島の人々が皆で育てるから、心配ないと言ってくれたので受けることができた。

 講習を企画してくれたのは岡山県の民芸館長の外村吉之介先生だった。半ズボンをはいて変な格好の人だと思っていた。琉球政府当時に、講習会を開いてくれた。戦前、外村先生が最初に来た時は、地ばたで織っていたが、戦後それが消えてしまって一人だけになってしまった。それを見て、地ばたは続けなければならない。政府は何をしているのかといって、外村先生が講習会を開いて下さった。

 最初は、八重山上布は3人で1反だったが、ミンサーは1人で3反織ることになった。そのおばあちゃんの時代で地ばたから、高はたに移った(地ばたは難儀なので)。高はたは、かすりはかすりだけで丁寧に巻く「綾つぶる」と、白と茶と墨の少しの糸を巻く「地つぶる」がある。
 「綾つぶる」とは模様のことであり、「地つぶる」とは下地のことである。その「綾つぶる」と「地つぶる」の両方を一つに織り上げる。つまり、八重山上布の織り方のようにくみあわせてはたを織ったが、今はあの頃よりも上手になり、かすりも地も一緒にまきこむようになった。つまり、地ばたから高はたに移す時代は、地つぶる・あやつぶるは別々に巻いたのである。皆、手じめを教わって、それが国の指定になり、はじめておさ織ができた。
 そのような経過を経て通産省から認められ、平成元年4月18日に伝統工芸品に認められた。

織り機

 

通産省が認めた後と前の意識の変化

島仲 気持ちは同じだが、もともと幅が一定でない手じめだつっものが、おさ通しになった。おさ通しにすると幅が同じになる。

 

技術は、誰が変えていくのか、皆で話し合うのか

内盛 何も話し合うということはない。なんとなく見よう見まねで先生というものもなく、自分で人の技術を盗む。指定されてからは、自分の身につけるものではなく、商品になってしまった。以前はでこぼこや幅の一定でないものも手織の良さだと思い、売り物でもないので気にしなかった。
 しかし国の指定をうけてからは、それなりにきちんとした物を意識して作るようになった。実際に使ってもらうのだから良いものを売りたいという気持ちが強くなっている。

 

織物の味は? もっと自由に作ってもいいのでは?

島仲 指定は指定通りにやるが、その他の自由な展開は可能なので横糸をかえたりしている。ミンサーは縦、横、木綿という指定だが、柔軟性をもたせて、木綿×芭蕉、絹×芭蕉、麻などと織っている。指定は伝統的なものとして継承していかなければならないと思うが、ミンサーばかりにこだわらず、島の素材、染料などを利用して伝統工芸品とは別に若い人たちの感性を生かしながらやっている。

展覧会

 

 

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