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| 内盛さんがハナックオン(花城御嶽)のカンツカサ(神司)になられたのはいつですか。 |
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昭和50年12月のナーッキヨイが終わった後、アッパ(婆さん…崎山苗さん)から引き継ぎました。ですから、昭和51年の正月行事から始めたことになります。六山の神司は、新暦の正月に、ムラオン(村御嶽)と呼ばれるフイナーオン(国仲御嶽)・マイノン(前の御嶽、清明御嶽)・ニシトーオン(西塘御嶽)を願い、旧暦の正月では、それぞれの御嶽を願います。
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| 内盛さんは、竹富の学校を卒業後、東京に住んでいたと聞いていますが、どうして、竹富に帰って、神司になろうと思ったのですか。 |
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はい。私は、東京で結婚して、子供もいましたし、保育園で保母として働いていました。しかし、昭和48年頃から、毎日が憂欝な日々でした。人の心というものは自分でも分からなくなるものです。私はその頃、「自分はガンで死ぬ」と思い込んでいました。そのきっかけは、父がガンで死んだためだと思いますが、とにかく、間もなく自分は死ぬんだと信じ込んでいました。お医者さんから、「あなたは何でもない、元気だ」と言われても、私はお医者さんが私にウソをついて、私を安心させようとしているのだと思い込んでいました。 それで、毎週のように病院に通って、お医者さんに「とにかく、本当のことを話して下さい」としつこく尋ねました。また、子供にも、「お母さんが死んだら、あんたどうするの」と尋ねたりしていました。私がいつもこんなことばかり聞くので、後では子供のほうから、「僕が死んだら、お母さんはどうするの」と、逆に聞かれたりもしました。とにかく、どういうわけか、憂欝な暗い日々を2年ほど、過ごしていましたね。
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| そのような憂鬱な日々から、解放されようということで、竹富に帰ったのですか。 |
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いや、そうではありません。竹富に帰るなんてことはまだ考えていませんでした。昭和49年の4月のことだと思います。崎山のアッパの娘の与那国和子さんが上京してきました。そのとき、和子さんから電話があり、私に会いたいということで、上野の西郷さんの銅像の前で会いました。そのとき、和子さんは私に、「元気でしょう?」と尋ねましたが、私は「イヤ、元気でない」と答えました。和子さんは、「まあ、とにかく竹富に帰って来てごらん。崎山のアッパも、そう言っているよ」と笑顔で話しました。私は「そうだね」と答えました。
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| そのとき、竹富に帰って、神司を継ごうと決心したのですか。 |
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いえ、そんなことは、まったく考えていませんでした。また、神司の話などまったくありませんでした。しかし、後から分かったことですが、崎山のアッパは、サンギンソウ(三世相=占い師)や物知り(=占い師)のところで占っていたらしく、私を後継ぎにしようと決めていたようです。それで、和子さんに頼んで、私の帰省を促したと思われます。 それで、夏休みに竹富に帰りましたが、その日は偶然にも、明日は豊年祭という日でした。
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| 帰ってから、崎山のアッパに、神司を継いで欲しいと言われたわけですか。 |
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それも言われましたが、ただそう言っただけではありません。私は、石垣島で物知りのところに連れて行かれました。そしたら、その物知りは、「あなたは神に仕えるべき人間で、そうすれば幸せになれる。だから、仕えなさい」と言いました。それで私は、自分のこれまでの憂鬱で辛い日々を思うと同時に、そこから抜け出せるならば、島に帰って神司になるのもよいと思うようになりました。また、アッパをはじめ、みんなにも勧められて、神司になったというわけです。
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| 神司の一番大事な仕事は、ニガイフチ(願い口=唱え言)を唱えることですが、どのようにして覚えたのですか。 |
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崎山のアッパは、神様が教えてくれるので自然に覚えたと言っていましたが、私はアッパの唱えるニガイフチを紙に書いて覚えました。初めの頃は、ニガイフチを唱える順番を間違えないようにと、それぞれの詞旬の始まりの言葉の一字一字をマッチに小さく書いたこともありました。
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| 神司は神様の言葉を聞くこともあると思いますが、どのようにして聞いていますか。 |
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昔の神司はどうだったか知りませんが、私の場合は、神司とユタは違うと思っています。ですから、私には、直接神様の声が聞こえてくることはありません。しかし、自分が唱えたことを神様が聞き入れて下さったかどうか、また、自分の思っていることが正しいのかどうか、神様にお伺いすることはよくあります。
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| どのようにして、神様にお伺いするのですか。 |
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お伺いするときは、供えたお米を一掴み取って、そのお米を2粒づつ除けます。最後が2粒だとムル(丸)と言って、神様からよろしいという知らせを受けたことになります。しかし、最後に1粒だけ残ったときはパン(半)と言って、その場合は神様は頷いていないということになります。
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| つまり、一掴みのお米が偶数ならば神様はOKですが、奇数ならばNOということですね。 |
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例えば、こんなことがありました。四月大祭は、新暦の5月下旬に行うもので、順調に穂が出ることを祈る祭りです。ところが、その年の四月大祭は台風でした。それで、村はずれの花城御嶽で祈願をして、海辺のアイミシヤシ(東美崎)御嶽に行くのは、風が強いので止めようとしました。それで、私は「今日は台風なので、海辺のアイミシヤシ御嶽には行けません。アイミシャシ御嶽の祈願も、この花城御嶽でしますのでご了解下さい」と神様にお願いしました。そして、お米を一掴み取って、ムル(丸)か、パン(半)か、神様にお伺いを立てました。 ところが、その答えは、パン(半)でした。2回、3回やっても、パン(半)でした。
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| お伺いするのは、1回だけでなく、何度もするのですか。 |
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1回だけなら、偶然ということもありますから、何度かやって、続けて同じ答えが出たときに、神様の意志がわかるのです。
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| 3回やっても、パン(半)ということですから、神様の気持ちはNOで、アイミシャシ御嶽まで行くようにということですね。 |
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ええ、ですが、そのときは本当に風の強い日だったので、また、神様に祈願して、お伺いしました。しかし、やっばり、4回日、5回日もパン(半)でした。そこで、私は決心して、居合せたみんなに、「やっぱり、アイミシャシ御嶽に行かなければならない。行きましょう。きっと、浜辺には魚が打ち上げられているかも知れない。行けば褒美があるだろうから、行きましょう」と、言いました。
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| それで、海辺のアイミシャシ御嶽に、自動車で行ったのですね。 |
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そうです。ところが、その頃から、風は止みつつありました。アイミシャシ御嶽では、ロウソクの灯が揺れないような静けさで、無事祈願を済ませました。
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| 浜辺に魚は打ち上げられていなかったのですか。褒美はなかったのですか。 |
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魚はいませんでしたが、戻る道で、大きな黒木が倒れて、道路を塞いでいました。
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| 黒木とは、三味線を作る木ですね。ずいぶん高価な木ですね。 |
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そうです。アイミシャシオン(東美崎御嶽)の黒木です。しかも、その木は、3分の2ほど、ノコギリで切られてありました。誰かが、あらかじめ3分の2ほど切っておいて、後で持ち去ろうとしていたのです。
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| これは大きなご褒美ですね。 |
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それで、村に戻って、みんなでこの黒木を運んでもらいました。この黒木は、神様からいただいたものですから、それを売って神様のために使おうということになり、神様にもご報告しました。そんなことがありましたよ。
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| 神様がパン(半)を出して、アイミシャシ御嶽に行くようにという指示を出したおかげですね。 |
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このように、神様は、私たちに、ムル(丸)か、パン(半)で教えてくれます。しかし、ムル(丸)と、パン(半)が交互に出て、メチャクチャのときもあります。
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| それは、どうしてですか。 |
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私も、どうしてなのか、さっぱり分からずに、悩んだこともあります。しかし、あるとき、「これは、いま答えを出すべきでない。時間が経てば自然と解決する。だから、メチャクチャになるんだ」という神様からのメツセージが耳ではなく、心に響いたことがあります。それ以来、そのように納得するようになりました。
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なるほど、神様はすごいですね。よく分かりました。今日は長時間どうもありがとうございました。 |
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