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民族舞踊「マミドー」の誕生

 
「星砂の島」第1号より

「我が竹富島こそマミドーマの本家である。いや、小浜島には、古くからマミドーマの歌が伝えられていた」などという、本家争いがあるのをご存じでしょうか。この文章を読めば、本家争いの事情がすべてわかります。尚、竹富島では一般にマミドーマと言いますが、小浜島ではマミトーマと称しています。また玉城氏は竹富島のマミドーマを、小底筑登之(こそこちくどぅん)のマミドーと生盛康安翁(せいもりこうあん)のマミドーマに分けて考えています。

1 はじめに

昭和51年2月20日、NHK先島放送局は、沖縄海洋博記念公演に出演した竹富島のマミドーを放映した。そのときの解説者・新城徳祐(あらしろとくゆう)氏は、「この踊りは元々小浜島のものであった云々」と話しておられた。
恐らく喜舎場永c(きしゃばえいじゅん)氏の説を引用したのであろうが、間違いも甚だしい。早速私は、同年の2月29日付けの沖縄タイムス誌上で反論したことがあった。私見に対し、数人の方の所見が沖縄タイムスに寄せられて論争開始になったが、原稿は中途で打ち切りとなり、結論を見ぬまま幕が降ろされた。

一方、竹富町教育委員会の文化財審議委員会でも、マミドーの件については以前から無形文化財の指定をめぐって、竹富島のものなのか、小浜島のものなのかで、双方が対立していたとのこと。
その決着を図ろうと、委員会は、竹富島と小浜島双方の参考人を呼んで、30分の時間を与えてそれぞれの主張を聞いたことがある。そのとき、竹富島側の参考人としては私に声がかかり、小浜島側からは山崎浩氏(『小浜島誌』の著者)が出席した。

ちなみにその文化財審議委員会には、竹富町の各島々の代表が出席されたが、竹富島代表は上勢頭昇(うえせどのぼる)氏であり、小浜島代表は故大嵩秀雄(おおたけひでお)氏であった。


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